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島田叡(しまだあきら)ってどんな人?

母校の卒業生に、沖縄警察署長の「新井退造」という人物がいます。

彼を語る上では、沖縄の惨状と二人三脚で支えあった県知事の存在が必須。

沖縄戦で住民の命を救った彼の話をする前に、県知事について書きます。

※紹介しているのが参考文献です


覚悟の知事就任

仕事を理由に出張を繰り返す泉守紀前知事は、住民との溝を深めていた。

軍からの住民疎開に従わず、突如県庁の移転を命ずるなど横暴を極めた。

後任者を探す上層部は、わざわあ死地に出向く人間はいないと困り果てる。

軍から打診された人物が、エリートにも関わらず地方職を転々とする島田。

かつて東大野球部のエースとして名をはせ、OBとしても野球部に貢献した。

自らの正義を実行するため地方勤務が多いが、各所からの信頼は篤かった。

「一般市民が赤紙で招集されるのに自分が県知事を断るわけにはいかない」

と、日本刀と青酸カリ「葉隠」と「南洲翁遺訓」を懐に沖縄へと飛んだ。


明朗にやろう

知事に就任した島田は、まず手始めに軍部・住民との関係修復に努めた。

上海事変から付き合いのあった長をはじめとした、陸軍32軍と情報交換、

沖縄戦の食料調達の頼みを聞き自ら台湾へ飛び、蓬莱米3000石分を確保。

さらに戦争に関係する業務を優先的に処理する行政への移行を決定する。

一方で住民とともに酒を飲み交わすなどし、交流を深め疎開促進に貢献。

当時の知事は雲の上の人だったため、これは驚くべきことだったという。

また村芝居復活や、たばこや酒の規制緩和を行い住民をねぎらった。


断じて敢行すれば鬼神も之を避く

本土で知り合いのない生活を余儀なくされるため、住民は疎開を躊躇した。

住民に疎開に促すため、まずは県庁や警察勤務者の家族疎開を決定する。

攻撃が始まると軍部の情報を集め、首里城での最終決戦を要求するが却下

軍が首里城から撤退して戦うことは、避難民の巻き添えを意味した。

防空壕を転々としながら行政を行っていたが、ついに県庁の解散を決定。

伝達のため数人に沖縄脱出を指示、県民には自害ではなく降伏を薦めた。

「沖縄を地獄に変え多くの人間を殺した自分が生き残るわけにはいかない」

と軍を追いかけ、警察部長だった新井退造とともに行方不明となった。


島田叡ってどんな人?

もちろん、彼が本当に非の打ちどころのない人物であったかは不明です。

軍部との距離感や、証言する人物が少なく高齢化も進んでいることからです

一部では、戦争を進める軍に抵抗した前知事が正しいという意見もあります

しかし一方で住民から良い話しかなく、当時の新聞でも好意的な印象。

さらに戦争終結後には住民によって彼らを弔う「島守の塔」が設置。

住民に苦労を強いる存在であった警察や県庁職員に対する扱いとしては格別ではないでしょうか。


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