見出し画像

スラム街とスラムマンション

スラム街とスラムマンション


 私はブラック企業を卒業し、切腹手術も終え腹痛発作に悩まされることもなくなり、次の会社に就職してすぐに一人暮らしを始めた。親から、兄から早く離れたかった。
 いくつか見た物件の中で私が決めたのは、札幌の中でも治安が悪いと有名地区の、駅まで三十秒の駅近マンションだった。いくら治安が悪いと言われていても、駅まで三十秒ならトラブルに巻き込まれる前に帰れると思ったのだが、まさかのマンション内の治安が最悪だった。
でもよく考えればそのマンションは駅徒歩三十秒、1LDK、オートロック、管理人あり、都市ガス、という好条件なのに家賃が三万九千円だった。初めての一人暮らしでも分かる異様な安さだった。安いのには当然理由があった。
私は角部屋に住んでいたのだが、そこのマンションは角部屋以外全てワンルームという作りだった。隣の部屋に出入りする女の人がすごくたくさんいるな、相当遊んでる男の人が住んでるのかなと思っていたが、私は夏場にその部屋の玄関が開放され、ワンルームの中に複数の女の人とヤクザ的な人がいるのを見て、そこが派遣するタイプの風俗店の待機部屋になっていることに気付いてしまった。
自分の部屋の隣が風俗の待機部屋、というのは、あまりいい気はしないが、別にこちらに迷惑を掛けてくるわけではないので特に気にしないことにした。壁が薄かったので、時々夜中の三時くらいからパーティーらしきことを始めることが多少気掛かりではあったが、神社暮らしのおかげで私は騒音に耐性がついており、深夜のパーティーの騒音も特に問題はなかった。
しかし、ある時から中にいるヤクザが別の人に変わり、深夜にアウトレイジばりの怒号大合戦が始まるようになってしまった。私は銃や薬物や風俗への勧誘などを想像し、そのヤクザがめちゃくちゃ怖くなり、引っ越すことを決めた。
 ちなみにその派遣タイプの風俗の待機部屋に出入りするおばさんで、すごく記憶に残っている人がいる。そのおばさんは、顔が死体みたいな土気色をしていて、社交ダンスみたいな服を着て、でも足元は就活みたいなパンプスを履いて、『世界中の不幸は私が引き受けました』みたいなオーラを纏っていて、出掛けて行ってはすぐに帰ってきていた。多分お客さんのところに行って、チェンジされては帰ってきているのだと思った。私はそのおばさんのことを心の中で『チェンジおばさん』と呼んでいた。私はチェンジおばさんにすごく興味があって聞きたいことがたくさんあった。
 なぜチェンジおばさんはそんなにチェンジされるのに頑なに風俗をやめないのか、
 向かいのスーパーでレジ打ちでもしてた方がよほど儲かるんじゃないか、
 なぜそんなにファッションがアンバランスなのか、
 どんなファンデーションを使えばそんなに顔色が悪くなるのか、
 どうしてそんなにも全身から不幸オーラを発しているのか、
 一体チェンジおばさんの人生で何があったのか、
 何人か殺してるか、もしくは身内が殺されでもしたのか。
私は引っ越しを決めてから引っ越し当日まで、何度もチェンジおばさんに話し掛けたかったが勇気が出なかった。私はあまり人生に後悔がないタイプだが、チェンジおばさんに話し掛けられなかったことはだけはとても後悔している。
 風俗の待機部屋の隣には、八畳ほどのワンルームに親子三人が暮らしていた。お父さんはちゃんとした身なりで朝出掛けて行き、通学していく子どもは小学校低学年くらいだった。お母さんはそんな二人を玄関まで見送っていた。親子三人が暮らすには無理がある狭さだと思うが、事実その親子はそこに暮らしていたのだ。ちなみにワンルームの家賃は三万円ほどで、あんなきちんとした身なりをしたお父さんが家族で三万円の家賃の部屋にしか住めないということは考えにくかったが、きっと何かしらの理由があるのだろうと思っていた。近所にパチンコ屋があったので、勝手にギャンブル依存症説を支持していた。
 その一家の隣は、会社っぽい表札が出ていたので会社だと思っていたのだが、ある日私はマンションのエントランスで頭の悪いヤンキーっぽい、かつ、イケてない見た目の男女が
「いやーまじ最近セックスしかしてねえわ〜」
 と会話しながらオートロックを解除して中に入っていくのに遭遇した。随分と明け透けだなあと思いながら同じエレベーターに乗ると、その男女は私と同じフロアで降り、先ほどの、私が会社だと思っていた部屋のドアを開けた。ワンルームのその部屋からは真っピンクの照明が漏れ出ており、玄関にはずらっと様々な制服が掛けられていた。そして奥からは複数の男女の楽しげな声が聞こえてきていた。私はこの数分で得た様々な情報を頭の中で整理した結果、
「あの部屋、乱交に使われているのでは・・・?」
 という結論に達した。
 風俗の待機部屋がある以外に乱交部屋もあるなんて、なんて性に乱れたフロアなんだと思った。果たしてあんなイケていない男女同士で交わり合うなんて楽しいのか。私はとてつもなく疑問だったが、多分本人達は楽しいのだろう、と思った。あの感じからして違法薬物等を使ったプレイが行われていたりしたのかもしれない。スラムは恐ろしい。
 その他のスラムマンショントピックスとしては、「◯○号室の奴ら毎晩毎晩うるさい!」という張り紙がエレベーターに突如貼られていたり、猫がおしっこをした布団を大型ゴミに出しに行き、有料ゴミのシールを貼り忘れたので部屋まで取りに戻った一瞬の隙をついて猫のおしっこが染みついた布団が盗まれていたり、鬼の形相でエントランスに降りてきた女性が大量のモノをエントランスにぶちまけて走り去って行き、その後を男性が降りてきてぶちまけられたモノを一瞥し、これもまた鬼の形相で女性を追いかけていくところに遭遇したり、エントランスで立ちションをしている、見るからに浮浪者がいて、「隣にコンビニがあるのに何故ここで・・・」と苦々しい気持ちで見ているとその浮浪者が何事もなかったかのようにオートロックを解除してマンション内に入って行き、『浮浪者ではなく住人!?』と驚愕したりなどがあった。
 スラムにはマンション内以外にもいろいろな人が住んでいた。道端に政治色の強そうな何かを並べて売っている迷彩おじさん。コンビニの壁に自転車をぶつけては『ウェーイ!』と大声を発する中学生。駅前で道ゆく人に罵声を浴びせ続ける罵声おじさん。スラムには変なおじさんがたくさん住んでいる。中でも私は今でも『正解おじさん』のことをよく思い出す。
 マンションの近所のスーパーは、その日賞味期限の菓子パンが半額になるシステムになっていて、開店前は半額狙いの人がちょっとした列をなしていた。
正解おじさんは、開店と同時に半額パンのところに真っ先に行き、半額パンを手にする人たちを指差し、
「正解!」
「正解!!」
 と正解者を続出させていたのだった。
私も正解パンをしょっちゅう購入して正解者になっていたのだが、カロリー的には不正解だったのでめちゃくちゃ肥えた。
そんな、正解を司りし正解おじさんが、ある日スーパーの店員さんに
「これも半額にしてよ」
 と言い寄っているのを見た時、私は何故だかすごくガッカリし、正解が何なのかわからなくなった。
 私は今も、正解を探す旅の途中にいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?