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リッツ・カールトンで朝食を 5.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

これほど場違いであってもいざ食べはじめると喉を通らない、味がわからないといったことは幸いなかった。
これは、食に携わる仕事を長年してきた経験が少しは役立ったと思われる。
食事を終えるタイミングで「飲み物のお代わりはいかがですか」とサーヴィスの女性から訊ねられ、ぼくは横目で松宮さんの反応をうかがい同調するように「じゃあ、ぼくもお願いします」とだけ答えたらショコラショーが注がれた。

このショコラショー、単品でオーダーすると結構良いお値段になる。それを躊躇なく注がれるリッツ・カールトンさんの太っ腹さに感動しながらも実はぼくが欲しかったのはオレンジジュースの方だった。
これは決してサーヴィスの女性のミスでなく、ピエール・エルメさんのショップで買い物をしたときと同じく、ぼくの心の余裕のなさがが原因だった。

それにしても朝食を食べる習慣のないぼくが、小ぶりとはいえリッチが故に重いピール・エルメさんのパンを3つも食べ、1杯だけでも重く量のあるショコラ・ショーを2杯も飲んだ。
中年の胃にはとても堪えるし、「ラグジュアリーって、いろいろと大変だな」というのが率直な感想だった。

朝食としては少しお高い気もするけれど、ピエール・エルメさんのパンが3つも選べ、ショコラショーなどがお代わりできることを思うと、それほど高い価格設定だとも感じない。
だけどぼくに必要なモノ、空間かと問われれば、やはり必要ない気がする。
というよりも、きっとリッツ・カールトンさんの方がぼくを必要となんてしていない。

考えてみるとバブルと呼ばれた時代、ぼくは既に社会人で一応大人だった。
同世代の中にも職種によってはバブル時代を謳歌していた人もいたけれど、幸か不幸かぼくは修業というシステムに身をおいていたため、バブル時代の恩恵を全く享受していない。それどころかいまの若い人たちよりもずっと劣悪な労働環境だった。
また自分で店をしたころにはとっくにバブルは終了していたし、そんなぼくが歳だけは重ねたからといって、ラグジュアリーなモノや空間に適応する能力がないのも仕方がないと思える。

客室の照明があまり灯らず、稼働していないのでは・・・といった庶民であるぼくの心配など無用だそうで、松宮さんのお話によると富裕層と呼ばれる人たちは、こんなラグジュアリーな部屋を半年単位で借りていたりするらしい。
曰く「別荘を持つより安い」とのこと。
何度聞いてもイスパハンが「舞妓はん」のように「イスパはん」としか聞こえないぼくには、まるで火星で起きている話を聞いているみたいだった。

そういえばフランスにいたころ、ミシュランの3つ星や2つ星のレストランへ何度も食べに行かれていた自称一流を知る男という日本人の先輩が、当時3つ星レストラン未経験だったぼくにこんなことを教えてくれた。

「西山、3つ星などの本当の一流店は緊張しないものなんだ。いや緊張しないんじゃない、緊張させないものなんだ。それが本当の一流だ」

ぼくは先輩のこの言葉に感銘を受けた。
自分の憧れた世界がそうであってほしいと漠然と思い願っていたことを言語化してもらえた気がしたものだった。
ところが本当の一流であっても、やはりぼくは緊張をした。
我ながらさすがと呆れるしかないけれど、先輩の名言を思い出しながら明細書に記された “13% Service Charge” の文字を見つめ、ぼくはまた幾ばくかの緊張感を覚えた。






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