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とても寂しかったこと

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

ずっと「若い、若い」と言われ続けてきた気がするけれど、そういえば最近耳にすることがなくなったなと思ったら、すでに半世紀近くも生きてきたということを改めて思い至る。
40代半ばを過ぎて以降、ふとした瞬間に自分の年齢が出てこないことがよくあるのは若いときにはなかった経験で、それが考えないようにしているからなのか、本当に忘れているからなのかはわからないけれど、年齢とともに忘れていたものの一つに寂しいといった感情があることを思い出した。

こちらは年齢以上にすっかり忘れていたけれど、これは個人差もあるだろうし、ぼくの場合それほど社交的でないといった性分から来ている気がしないでもない。
そんなぼくでも無意識のうちに気づけば寂しいという感情に直面していることが稀にある。
やはりそれは知っている方や好きな方、近しい方とお別れしなければならないときだけれど、それが自分に近い年齢の方やもっと若い方だったり、予兆もなく突然だった場合には特に堪える。

最近では本当に多くの方から愛された俳優の大杉漣さんが急逝され、やり切れない気持ちになったばかりだった。
ぼくはお会いしたことはなかったけれど大杉さんはパンが大好きだったそうで、新宿の店にもよくお越しいただいたとスタッフから聞いていた。
トレイに載り切らないほどのパンを選ばれ、それを置いてまた別のトレイを手にされているとき、一時的に置かれたパンを別のお客様が取ろうとされたことがあったそうで、それを目にされた大杉さんは「あぁーそれ、ぼくのだから。まだ選んでいるから」と仰っていたという微笑ましい話もあった。
また新宿の店が閉店すると決まったときには、「大丈夫? 次、働くお店は決まってる? もしよかったらぼくが紹介しようか」とスタッフにお気遣いをくださったという、ドラマやバラエティ番組などから受ける印象そのままのとても優しい方だった。

 つい先日は、ぼくが大変お世話になった身近な方の訃報にふれた。
年齢もぼくとほとんど変わらない上に余りにも突然のことだったため、まったく現実感も伴わず未だに信じられずにいる。
その方はちょうど1年前、ぼくにとって恐らく最初で最後になるであろう著書を世に出してくださった方だった。
1冊の本とはいえ毎回野外ロケをするといった大掛かりな内容だったため、書籍化されるまでに3年以上の時間を要した。その間、撮影が決まればダンボールの屋台を車に載せ、西へ東へと運んでくださり決して容易ではない組み立てや撤収作業を誰よりも率先してやってくださる方だった。
編集者というお仕事柄、ご本人は表舞台に出てこられることはなかったけれど、裏方としてずっと奔走してくださった。
また、ぼくがアイデアに行き詰まり、さすがにこの組み合わせはいかがなものかと自分でさえ思うようなものを作ったときでも、いつも試食の際にはおもしろがって「すごい!すごい!」「美味しい!美味しい!」と言ってくださるようなとても優しい方だった。

人生100年時代とも言われる現在にあって、まだ半分を少し折り返しただけのこんなにも優しい方たちが亡くなる世の中や運命というのは、ぼくには不条理としか思えないけれど、それが現実だと思うとどれだけ辛くても悲しくても受け入れるしかなく、だからどうしようもないほどの喪失感と寂しい気持ちになる。
「いつか、空想サンドウィッチュリーの続編をつくりましょう」と約束していたのに。
池田さんとぼくだけじゃ絶対につくれないですよ、慶徳さん。

訃報を受けた際、ぼくは「えっ?慶徳さんって・・・どの慶徳さん?えっ、あの慶徳さんなの!?」と言っていたものの「どの」も「あの」もない。ぼくの友人、知人の中に「慶徳さん」という方は彼しかいない。
それほど起きた現実にまったく理解が追いつかない状態だった。
それでも「倒れる直前までとても元気で、慶徳さんが家族の夕食を作ってあげられていたそうです」と聞いたときには、”優しい慶徳さんらしいな” と、その部分だけは実感がわいた。

慶徳さん、いつかぼくと池田さんがそっちに行ったときには、また3人で集まって 空想サンドウィッチュリーの続編をやりましょう。
慶徳 康雄さん、いままで本当にありがとうございました。


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