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大人になれば

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

ついつい「大人って、いろいろと大変だなぁ」と、こぼしてしまうことがあるけれど本当にそうなのか?と、ふと思った。 
大人には責任が付いてまわるからついそう思ってしまうけれど、責任と自由は 2つで1組でありトレードオフのような関係だ。
子どもは行きたくないと思っても学校へ行かないといけなかったり、やりたくもない勉強もしないといけないし、親のいうことだって聞かなきゃいけない。
大人はやってもいいのに子どもはやっちゃいけないことだってたくさんあるし、学校で付き合いたくないと思う友達がいても「仲良くしなさい」と先生から言われれば表面上だけでも仲良くするしかないから、基本的には自分の意思での選択肢がない。

責任と自由が1組だからといって、仮に「自由が欲しいから責任を持ちます」と言ったところで、それさえ子どもは認めてもらえない。
そう思うと本当に正しいのかさえ怪しい大人のつくったルールに従うしかない子どもの世界って、窮屈に映るし苦行にさえ思えてくる。

そういえば昔、ぼくの料理のお師匠さんが「もしもいま、10代のころに戻してやると言われてもオレは絶対に戻らない。大人のいまが最高や!」と話されていたことがあった。
そのころのぼくは生活に困窮していたくらいなので、そんなものなのか程度に思っていたけれど、いまならよくわかるしぼくも同感だ。

大人には責任という少し煩わしいものがもれなく付いてくるけれど、その代りに自由がある。そして恐らくこの自由というものの大半を占めるのは、自分の意思で選択ができるという権利を手に入れることだと思う。

大人だって多少の我慢が必要な場面もあるけれど、ちゃんと自立さえできていて他人様にご迷惑をかけないのであれば、子どものころのように気の合わない人と無理をしてまで付き合う必要もなければ、友達でいる必要だってない。
仕事も自分自身で選択することができるし、子どものときにはやっちゃいけなかったことも大人になるとできることだってたくさんある。
そうそう、子どものころには美味しいと思えなかった食べものが大人になるととても美味しいと感じるようになるものもきっとたくさんある。これも大人になることの愉しみの一つと言える。
世の中をつくっているのが大人たちだから、そこには子どもよりも大人が楽しくなるためのものが多いのは仕方がない。

ぼくのブログを子どもが読んでいるとは思えないけれど、子どもや若い人たちが辛いなとか悩んでいることがあったとしても、いま自分に見えているものや理解出来ることがすべてだと思わずに “大人になると楽しいことがたくさんあるらしいよ” と思っていて欲しい。
大人になっても嫌なことや嫌な人と関わることだってもちろんあるけれど、それでも子どもの世界に比べたら、きっと大人の方が楽チンだ。自分の意思で選択できるのだから。

子どもと大人の両方を経験してきたぼくが書いているのだから恐らく間違いない。
なんとなく、子どもは大変だなと思い書いてみた。


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