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朝ドラ『ちむどんどん』に人物造形の重要性を学ぶ

 先日、ストーリーより登場する人物をしっかり捉えることが重要だと書いた。
 これはいろんな小説指南に書かれていることで、僕が発見したものではない。もちろん。
 ただ、そう言われても具体的な例を目にしたことがあるわけでもなく、登場する人物がそんなに支離滅裂になってしまうものかなあ、といまひとつ腑に落ちていなかった。
 そこでいま放送中のNHKの朝ドラ『ちむどんどん』である。
 楽しんでいらっしゃる諸氏も数多いるようではあるけれど、その一方でめちゃくちゃだ、筋が通ってない、矛盾だらけ、とサンドバッグ並みに打たれまくっている評価もあって、なんとも賑やかである。
 僕も後者の一人で、物語の展開の都合の良さ、矛盾だらけの行動パターン、細部をおろそかにしているとしか思えない雑さ(原因が演出にあるのか、脚本にあるのかはわからないけれど)に、毎朝イライラしながらもヨロヨロと続けて眺めている(ちゃんと見てはいない)。もはや修行である。

 この朝ドラ、「#ちむどんどん反省会」などと製作スタッフにしてみたら剣山を投げつけられているようなハッシュタグまで付けられているわけだが、ツイートをチラチラと見てみるとこちらも頷いてしまうことも多い。
 特に人物の性格がある場面とある場面では180度違うという指摘など、実に勉強になるものになっている。

 僕が読んだ小説指南には、思いついたストーリーをなぞることに懸命になってしまうと、登場する人物の性格が別人のようにならないと筋が通らない羽目になると書かれていた。まさにこの朝ドラは人物造形をおろそかにしたツケが回ってきた悪しき例そのものなのである。

 世の中にはそうそう無駄になることはない、いつかどこかで何かの役に立つものだと実感することが多いわけだが、よもや酷い出来としか言いようのない今期の朝ドラですら学ぶことがあるとは、世の中には本当に無駄がないのかもしれない。

 どこまでも人物優先ですよ、やっぱり。

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