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読書記録2022 『平家物語』 古川日出男

 昨年、配信されたアニメの『平家物語』の評判もあってか、京極夏彦かと思うほどの厚さだというのに、人気があるらしい。
 かく言う自分もアニメを見て学生の頃以来に平家物語を読む気になったわけだが、昔読んだ古典全集の中の現代文訳と注記がセットになった「ザ・古典」の平家物語よりずっと読みやすかった。

 物語が成立した頃の姿は琵琶法師の語り —— 耳で聞くものだったわけで、読んで愉しむものではなく、音曲だった。いまでいえば講談のようなものがいちばん身近かもしれない。
 古川さんの現代語訳は実に具合よく訳されていて、「音曲」が「読書」できるものになっている。おかげで全850ページ超の物語を学生の頃と比べたらずっと早く読み終えることができた。

 改めて読んでみてまず思うのは、物語と小説は違うということ。
 平家物語はあくまで物語であって、平家凋落の始まりから滅亡までが一直線に続く。そこには布石も伏線もどんでん返しも謎解きもなく、ただただ現実の幅の中で起きたことが起きた順に書き記され、壇ノ浦まで因果が連なって行く。
 読者は歴史の行く末をすでに知っている立場で平家の物語が進んで行くのを傍観することになる。結末を知っている小説など、読んだところで面白さも半減するのがオチだが、この物語はそれでも読ませるのだ。おそらくは平家の滅亡という最終局面を目の当たりにするが為に。
 そして、全編を通すことで「諸行無常」「盛者必衰」といったことがより実感を持って迫るのである。

 司馬遼太郎を始め、歴史小説ではこのような書き方をされることが多いが、何やら偉人伝を読まされているような気分になって僕はあまり好きではない。毒にも薬にもならなくても時代小説の方がずっと好きだし、いま何度目かの再読の途中にある『真田太平記』の方が面白い。
 両者の違いはやはり小説性の多寡なのだと思う。
 平家物語は哀しい物語だ。途中途中でいくらでも手を止めることはできるけれど、一つの出来事が次の出来事が起きる因子となって続いて行く —— 今日が明日に影響して続いて行く人生のような物語は、小説を楽しむこととは違う地平にあるものなのだなと強く感じた。

(計25冊中の19冊目)

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