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才能と部屋の広さの相関関係(修訂版)

不確定な未来を想像できるのはヒトだけだと聞いたことがある。
過去に味わった経験を、始まりから結果に至るまで、頭の中で振り返り、同じように今を起点とした未来を予想するのは、脳には難しい作業らしい。
そしてその多くが悲観的な予想になるのだそうだ。

狭苦しい自宅にこもっていると、想像することは確かに悲観側に傾く。
感染者数が減っても、自粛の反動でまた感染が急増するんじゃないか。
次の波には自分も巻き込まれて、今度は感染から逃れられないんじゃないか。
消毒薬やマスクがまた品切れになるんじゃないか。
自分がかかった時にはすでに病院は感染者で埋まっていて、応急処置すら受けられなくなるんじゃないか。
一度起きた悲観の波は、連鎖反応のようにネガティブな予想を生み出して行く。
しょせんは平等に並んだ可能性の一つで、確定していない未来でしかないというのに。

一時期、「天才を育てるには天井の高い家に住むべし」なんてことが言われた。天才はいつだってポジティブだ。高い天井はポジティブな精神を育む。
そんな心理でも働いたのか、テレビ番組でも盛んに瀟洒な家を紹介していたが、天井の高い家と天才が育つことの因果関係は、僕には理解できない。
本当にそんなものがあるんだろうか。
そう思いつつも、天才を育むというこの条件、心当たりがないわけでもない。
あっちこっちをウロウロしながら文章を書いていると、視線の伸びる距離と想像の幅(奥行き)には、相関関係があるように感じるのだ。

個人的な差があるのだとは思うけれど、僕の場合は左右に広く、正面は左右と比べると近い、そして程よい高さに天井がある空間がいちばんリラックスして考え事ができる。テナントビルに入ったチェーンのコーヒーショップの2階の窓際のカウンター席とか。
広い公園のベンチのように、天井は空まで続き、左右も正面もはるか先というところは、かえって落ち着かない。
単純に言えば、狭い部屋より広い家だ。

5月の初め頃だったか、レディ・ガガが企画したチャリティイベントがあった。
世界中で“STAY HOME”が叫ばれる中、ミュージシャンたちが自宅から音楽を贈るというものだった。
ミュージシャンたちの(おそらく)自宅であろう部屋の見事さ釘付けになってしまい、音楽そっちのけで、映像の背後に映る部屋の様子の観察ばかりをしてしまった。
才能と引き換えに手に入れた成功をやっかむというより、単純に「これなら3年だって籠っていられるだろうなあ」と感心するばかりだった。
「才能と部屋の広さに相関関係があるとすれば、彼らには一生敵わない…」と悲観的になる前に、心の中の思考停止ボタンを押したのは言うまでもない。

コロナウイルスの蔓延で、世界も、社会も、個人個人の生活も変容を逃れられないだろう。これまでの常識が通用しなくなる場面もきっと出てくる。
何より生活する人々の気持ちが否応なく変化してしまっただろうから、社会は変化にアジャストせざるを得ない。
過去に戻ることはできなくても、天井の高い部屋に引っ越すことはできる。
東京を離れて、海のそばの町で四季を通して生活してみたいというのは昔からの夢の一つだったが、変容した世界では、そういったこともごく自然なことになるのかもしれない。
この歳になって天井の高い部屋に住んだところで、才能が花開くよりも、棺桶の蓋が閉まる方が早い気もするけれど。


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