見出し画像

断片小説集10(単発)

 —— その部屋の持ち主の趣味はおよそ良いものとは思えなかった。
 北側の窓を背にして、床に敷き詰められた臙脂色のカーペットの上にマホガニー製のデスクが置かれている。恐らくはオーダーメイドだ。よその経営者の執務室で目にするデスクより50センチは大きい。その気になれば私のベッドの代わりにもできそうだった。
 カーペットもきっと特別に誂えたものなのだろう。毛足はわずかに伸びたゴルフ場のフェアウェイほどに深い。部屋に足を踏み入れてからというもの、私の靴はかかとまで沈んだままだ。足音は消せるだろうが、年寄りなら毛に足を取られて転ぶかもしれない。私の心配は不必要なものだった。転んだところで床のカーペットは古いアパート暮らしの年寄りが眠るベッドより柔らかい。この部屋の床で怪我をするような年寄りは他の場所で怪我をする。それにそもそもそんな年寄りがこの部屋を訪れることなどない。
 デスクの上に並んでいる物も主人の品の良い趣味の悪さをよく表していた。ローロデックスにダイヤル式の黒い電話。上質な革をタンニンで丁寧になめしたライティングパッド。手前には柾目のウォールナットで作られた葉巻ケースと黒檀の内側に真鍮をはめ込んだ灰皿が置かれている。その隣には海泡石メシャムとブライヤーのパイプが並んで優雅に立てかけられたパイプスタンドもあった。もちろん吸い口はどちらも安っぽいプラスチックではない。噛み跡がついていくらか傷がついているものの、どちらも正真正銘のエボナイトだった。葉巻ケースの内側はきっと真っ赤なサテンが敷かれているんだろう。あまりに隙のない趣味の良さで埋め尽くされた部屋に立っているだけで吐き気を催しそうになったが、カーペットのクリーニング代を思い浮かべてどうにかこらえた。
(『趣味の良い部屋』)

*        *        *

 古い探偵小説を読み返していたら、デスクの上の風景だけでも随分と変化してきているのだなと気づいて、それっぽく書いて見た。
 デスクの上に灰皿や葉巻ケースが置いてあることも、革のライティングパッドがあることも今となっては稀だろう(代わりにノートPCの放熱板が敷かれていることはあるのかも)。
 ましてやローロデックスなんて「なにそれ?」という方のほうが多くなっているかもしれない。
 描写される小説世界の情景も時代とともに変化して行くのだと気がついた。今に合わせるのも、過去に合わせるのも、どっちも大変だ。

ぜひサポートにご協力ください。 サポートは評価の一つですので多寡に関わらず本当に嬉しいです。サポートは創作のアイデア探しの際の交通費に充てさせていただきます。