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モノ書く人になりたい一番の理由は

猫好きである。
犬よりグッピーより、手乗り文鳥やハムスターより猫が好きだ。
だが、母親が猫嫌いだったがために、残念ながらこれまでちゃんと猫を飼った経験がない。
何事につけても後悔はしても反省はしないタイプだが、猫を飼わないまま生きて来たのは人生の幸福の35%ぐらいを放棄してきたも同然ではないのかと、激しく後悔し、強く反省している。

「ちゃんと飼ったことがない」と曖昧な書き方をしたのは、狭い庭に居着いた野良の面倒をを半年ほど見たことがあるからだ。
大学に入ったばかりの頃、帰宅すると庭にちょこんと三毛猫が座っていた。
小一時間経っても三毛猫は庭で顔を洗ったり、寝そべったりして、どこかへ行く気配がない。
居座るなら居座るでよし、どこかへ行ってしまうならそれもよしで、もう使わなくなって10年以上経っていた犬小屋を引っ張り出して、これまた使わなくなった毛布を入れて、家の壁寄りの目立たないところに据えた。
三毛猫はすぐに元犬小屋の匂いを嗅ぎ、安全を確かめてから中で寝転んだ。
母親は猛烈に嫌がったけれど、家に入れないと一方的に宣言して、庭で暮らすことだけは容認した。
茶色の毛が勝っている三毛を「チャミ」と名付けた。

チャミとチャミが産んだ3匹の子猫との半年が、今のところ僕にとって唯一の猫暮らしだ。
生まれた子猫のうち二匹(三毛と錆び)は2軒向こうの家に引き取られ、黒猫は坂を下った近所の家にもらわれて行った。
チャミはいつの間にか姿を消し、二度と戻ってこなかった。

NHKで放送している『ネコメンタリー』ではないが、小説家と猫は切っても切れない縁がある。
チャンドラーもポーもヘミングウェイも、カポーティもブラッドベリもギンズバーグも、マーク・トウェインやブコウスキーだって猫好きだった。
小説家の生活と猫は相性がいいのだ。

夜中まで原稿を書いている最中に、暇を持て余した猫がやってきて「遊べ」と小さく鳴く。
何かしらで遊ぶと、突然「もう飽きた」とばかりにトコトコと部屋の中のどこかへ行ってしまう。
そんな毎日のなんと穏やかなことか。
「飼う」だなんて偉そうなことではなく、僕は猫との共同生活がしてみたい。これは切実な願いなのである。

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