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幸せについての"10"の思考

「幸せ」について語るなんて

人生を歩むに当たって、我々は数々の分かれ道である「選択肢」と直面する。人生とはそれだけで語れる話ではないが、常に自分へ迫り来る選択肢から、「最良の選択肢を選んで行く」ことが人生を作り上げると行っても過言ではないだろう。

その選択をする際、我々は自らが「幸せ」になれるように(それが短期的か長期的かはわからないが)、自分の本能を頼りに、自分の信念を頼りに、どこかで作られた・見聞きした論理を頼りにしながら選んで行く。

こんな「幸せ」について語るなんて、自分に酔っているような感じがしてあまり好きではないのだが、自分にとって、自分の幸せのための最良の選択をできるように、または自分がしてきた選択の意味がわかるように、

自分自身が大切にしている・大切にしたいと思っている「幸せ」についての考え方や思考を文字に起こしてみる。

1 慣れれば慣れるほど幸せに感じる能力が落ちる

いくら高級で最高に美味しいものでも、毎日食べていると"最高に美味しい"とはならなくなる。人は慣れてしまう生き物だからこそ、舌が肥えれば肥えるほど幸せに感じる能力は落ちてしまう。

だから「慣れる」ことは怖いことだと思っている。たまに食べるからこそ美味しい焼肉を大切にしたいし、たまに帰ってくるからこそ感じる地元の良さを大切にしたい。

2 一度上げた生活水準を元に戻すのは難しい

例えば今使っている携帯を「スペックの低い昔のモデルに戻そう」とする人は数少ないだろうし、今使っているNETFLIXやSpotifyのような定期購読サービスを「解約して無料のサイトだけで我慢しとこう」と自然になる人は数少ないだろう。(利用しなくなった人は除くが)

このように「一度上げた生活水準を元に戻すのは難しい」と思っている。だからこそ、何かものを買うときは自分が求めているニーズが満たせそうならば、なるだけ値段の低いものを選ぶようにしている。案外安くても自分の求めているニーズを満たせたりする。

生活水準を「上→下」にすることは幸せを感じにくく思えるからこそ、そもそも「下」から始めればいい。だが無理に「上」にあげると金はかかるしきりがないので、「下→上」にするのも簡単にしてはいけないと思っている。

3 「質」は変えずに、「種類」を変えよう

先ほど2で「生活水準を下げることは難しく、上げることもあまり良いことではない」と述べた。つまり「質」はできるだけ変えないほうがいいということだ。例えば自分も一年に服に使う金額はいくら歳を重ねても、お金があっても、あまり変えないようにする。でも、同じ金額でも昔よりオシャレが出来ると感じたら、買う服の「種類」を変えることはある。

だから、今持っているものの「質」を上げることに金を使うのではなく、やったことのない経験や、買ったことのない欲しいものに、新しい「可能性」に、お金を使うことならありだとは思う。

4 上と比較していては永遠に幸せは感じられない

2や3で述べたことに対して「金があるに越したことはないでしょ」「金があれば出来ることの選択肢増えるじゃん」と思う人もたくさんいるだろう。確かにそれはそういう気もする。だが、先ほども2で述べたが、金による変革は終わりがない。

SNSなどで自分の身近な友達が海外旅行をしている姿に嫉妬したことがある人も少なくないかもしれないが、アリアナ・グランデのようなスーパーセレブが豪邸のプールで遊んでいる様子をSNSで見ても、嫉妬する人はおそらく少ないだろう。

つまり、人は自分の「少し上」と思った人とよく比較してしまう生き物である。スポーツなどの競争社会ではその考えは必要かもしれないが、もしその「少し上」の生活水準を満たしたとしても「またその少し上の人」が現れるだけである。なので人と比較して幸せになろうとすることは永遠に自分を満たせない可能性が大きい。

じゃあどうやって「幸せ」になれるというのか。

次からもう少し具体的な思考を述べていきたいと思う。

5  極論、人は「飽きなければ幸せ」

1で「慣れることは禁物」と言ったが、人は今やっていることに「飽きる」と、多少幸福度が下がるものである。

要は「現状維持しないこと」「変革すること」が大切である。

だから、ここまでで述べた様々な事項を意識しても、「自分のいる環境やコミュニティを変える」「何か新しいことを始めてみる」ようにして、多少の初期投資は仕方なくても、そこまで金は積まずに生活を変革して、飽きない生活は出来ると自負しているし、そのように暮らしていきたい。

金を使うことが悪いのではない。まず金を積めば幸せになれる!という「思考停止モード」が良くないと思うのだ。金を使わなくても新たな可能性を探ろう、というように、知恵を使って幸せを求めるからこそ人生は楽しい、とも言えるだろう。

色んなやりたい事や可能性に手を出して”飽きない”生活をしよう。

6  「暇」よりは「忙しい」人生を

人は暇だと自然にマイナスなことや嫌なことを考えてしまう生き物だ。自分も以前、とても暇なスーパーのバイトをしていたが、誰も来ないレジで一人暇な時間を過ごすがあまり、過去の嫌なことや後悔を浮かべてしまう時期もあった。

個人差はあると思うが、出来るだけ、嫌なことを考えてしまうような「暇な時間」を減らすために、色々やりたいことを増やしたり、新しい何かに飛び込んだりして、身体的にきつくない程度に、ほどほどに自分を「忙しく」することは大切だ。

7  「消費」だけで終わらせない

たまに、「アイドルを本気で好きで、リリースされた作品は全部買うし、出されたライブグッズも全部買っちゃうんです、買わないとかありえないです」みたいな人を見かける。別にこういう人が悪いわけではないのだが、こんな風に自分の幸福を満たせるものの大部分が「消費」である人も少なくないだろう、という話だ。

自分は曲を書いたり音楽を奏でたりすることが好きだ。音楽を作ったり演奏したりすることは、初期投資はかかるにしても、一度楽器などを持っていればしばらくの間はほぼほぼお金をかけることなく楽しめている。実際自分がいつも使っているピアノも五歳の頃から修理なしで、ずっと使えている。

そうやって「曲を作る」もそうだし、「絵を描く」だとか「何かを作る」みたいなことが趣味な人は、さっきの「消費」するばかりの人よりはお金も使わないし、その方が確実に幸せとは言い切れなくとも、そんな風に「お金のかからない趣味」を持つこと、持っていることはとても良いことだと捉えている。「消費」だけで終わらせない幸せを大事に。

8  「借金」だけはやめよう

借金だけではないが、お金の関わる何かに追われている生活は誰にとっても大きな精神的ストレスだろう。余裕のない中お金を使う生活を送るのも同じことだ。

だからこそ、これまで述べてきた考え方のもとリーズナブルでコスパのいい経済生活をしたいし、潤沢ではなくとも、お金には追われることのない生活をできるようお金をしっかり管理して、生きていくことが大切だ。

9 何気ない日常を大切に

自分は旅や旅行が好きなのでいろんな観光地に足を運ぶことが多い。もちろんその観光地に行って絶景を見たりすることは素晴らしいし、楽しい。

だが、それとは裏腹、半年ぶりくらいに地元に帰った時、家の近くを散歩すると、何気ない路地裏や公園の景色などがとても愛おしく思い、感動する。そんな経験をした人も特に大学生は多いのではないだろうか。やはりそこに「住む」ということをしたからこそ、その土地の素晴らしさに気付けたり、何気ない日常に気付けたりする。自分はそんな瞬間がとても好きだ。

この考え方は多少自分の感想ベースではあるが、何が言いたいかというと、旅行に行った場所は、観光地ばかり目にとまったり、旅行としていくのでその街を「観光地」として見てしまうため、多少幸せに対するハードルが上がってしまう。

自分も夏に長野に一週間ほど滞在し、特に観光したのは1日ほどだったが、他の日には普通にその街で散歩したりと、何気ない日常を過ごすことでとても幸せに満ちた。これは誰にも共通する幸福感ではないかもしれないが、いいホテルに泊まらなくても、観光にお金をかけなくても、大した観光地がそこになくても、そこに「住む」ようにして滞在したり、その場所の何気ない道を散歩したり、観光することに追われないで何気ない何も予定のない1日を過ごしてみたりすることは幸せであると考える。くどいようだがお金もあまりかからないし。

「離れてわかる故郷の良さ」「何気ない日常への愛おしさ」みたいなものを、大切にしながら生きていたい。

10 「幸せ」なんて十人十色

ここまで様々な自分の「幸福観」を述べてきた。自分のこの考えは割と多くの人に当てはまるのではないか、と自負はしているものの、正味「自分にとっての幸せ」なんて人それぞれだと思ってもいる。

「人は幸せになるために生きている」

自分はこう思っている。

だからこそ、「自分が本能のままに、または何かの信念をもとに、迫られた選択肢を解消して幸せになろうとする」という一連の行為のロジックを、自分のように言語化してみて欲しい。

なぜなら、

人の幸福観は皆違って、十人十色なのだから。


たくさん読んでくれてありがとうございました。

また読んでください。









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