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【ピリカ文庫】それ、似合ってますよ【短編小説】2600文字

「ユメ!おい!ダメだって!もぉ~!!」
薄黄緑色の柔らかな芝生を白くてすっと伸びた脚が駆けていく。
時々僕の方を振り返って追ってきていることを確かめてくれるが立ち止まることはなく、また前を向いて駆けていく。
「待って!ユメ、待って!」
聞こえているはずなのに待ってはくれない。
最後に振り返って首をかしげ、薄暗い茂みの中に入っていった。
「おーい・・・」
ユメは連れ出してくれる人をいつも静かに待っている。
自分からどこかに行きたいと主張はしないが、行った先では誰よりも駆け弾み、秘めていた喜びが爆発したかのように輝きを放っている。

薄暗い茂みをかき分けていくと明るい子供の声が聞こえると共に、パッと周囲が明るくなった。
目の前には鮮やかな緑の芝生が広がっている。
ボールを追いかけている親子や大きなレジャーシートを広げて寝転がっているカップルが目につく。
柔らかい風が頬を撫でていく。見上げた空は青く、ところどころにふわふわと綿雲が浮かんでいる。
立ちすくんでいるのが馬鹿らしくなって芝生に腰を下ろすと、手にちくちくとした感覚が伝わってきた。
ここに来た目的を思い出したと同時に、白いすっと伸びた脚が目の前を横切った。
「ユメ!」
太陽の日差しを反射してキラキラと輝く銀色のサンダルを咥えていた。

「持ってきちゃったのか?おーい、まじかー」
辺りを見回してもサンダルを探している様子の人はいない。
それにしてもこの場所で履くには不似合いなサンダルだ。
手に取ると羽のように軽い。
もしかしたらこれは魔法使いが誰かにプレゼントしたもので、その人が脱ぎ落としていったものかもしれない。
僕はユメのリードをつけ直し、それっぽい人がいないか捜し歩いた。
ユメを連れて歩いているからかチラチラ見られているような気がして、もうサンダルを投げ出して戻りたい気持ちでいっぱいになってきた。
「ワン!ワン!」
おとぎ話の空想に飽きた頃、ユメが吠えた。
その先にはレジャーシートを引かずに仰向けに横たわっている人がいて、その足元には手に持っているサンダルの片方と思われるものが転がっていた。

寝ているかもしれないと思い、そのまま隣に転がしておこうかと近づいたけれど、その人はごろんと横に向き直って、長い前髪の間から覗く切れ長の目で僕を捕らえた。
「すみません・・・これ・・・うちの犬が盗ってきてしまって」
その人は上半身を起こして座り直し、前髪をかき分けた。
「あら、そうなの?気が付かなかったわ。このワンちゃんはキラキラしたものが好きなのかしらね。ボルゾイ?」
意外とハスキーな声のその人は、意外と大きな右手を僕の方に差し出したので、僕は持っていたサンダルを壊れないようにそっと渡した。
「そうです。ちょっと珍しいですかね。チラチラ見られてる気もします・・・」
「ありがとう。このミュール、おろしたてなの。そうねー、ここって犬禁止エリアだからじゃない?」
僕はハッとして、一つ目の違和感を理解した。
「あぁ!!すみません・・・あの隣のドッグランからこいつが抜け出してしまって・・・戻ります」
僕はユメのリードを引っ張ったが、ユメはちくちくした芝生の感覚を全身で感じるように寝そべって動かなくなってしまった。
「まぁ、いいじゃない。走り回っているわけでもないし。今、ツレがそっちのカフェにテイクアウト買いに行ってるわ」
その人はユメを優しく見つめながら白い毛並みを整えるように撫でてくれた。
撫でられているのはユメなのに、なんだかこそばゆい。
僕はユメの隣に座り、会話を続けようとしてみた。

「お散歩・・・ですか?」
他愛もない話題から始めてみた。
「ここを出て大通りまで行ったら近くに美術館があるじゃない?そこで今、写真家の螺川実樹にしかわみきの展示をやってて。知ってる?」
名前は聞いたことがあった。派手な写真を撮る人だったと思う。
「はい。だからシンデレラみたいなサンダルを履いていたんですね」
「シンデレラか!いいね!これはミュールって言った方がいいかな。ヒールがあって、足の甲だけ覆ってるサンダル」
僕は一瞬やっちまったと思ったけど、馬鹿にせずに「いいね!」と言ってくれたお姉さんが好きになった。
「人気だから結構たくさん人がいてね。みんな展示を見てるはずなんだけど、なんだか自分の方を見られている気がして。自意識過剰かもしれないんだけど。」
ユメが少し頭を持ち上げて、また下ろした。
「私が街で他の人を見て、あの子は小さくてリスみたいで可愛いとか、あの人は派手な髪色して美容師さんかしらとか、あんななりをしていい車乗ってるわねーとか思うみたいに、私のことどういう風に見えているのかしらって・・・考えちゃうの」
膝を抱えて丸まっている姿につい見入ってしまい、そこでもう一つの違和感に気が付いた。
この公園とミュールの場違いな違和感とは違う、パズルの似たようなピースが違う場所ではまっているような。
お兄さん・・・・の肩までのふわっとした髪が風に揺れて、香った。
「で、その後に街でランチするのをやめて、ここに逃げてきたってわけ。シンデレラみたいなミュールも履いて、大丈夫って思ったんだけど」
ユメの振ったしっぽが、その香りを掴んだようだった。
「その・・・ミュール、似合ってます。とっても」
2人と1匹の周りを、幸せな香りが漂った。

それから、僕はドッグランを抜け出したユメを追ってここまで来たこと、一緒に来た母親は併設のカフェで友人と話し込んでいること、受験しようとしている高校の制服が学ランでブレザーが着たいから悩んでいることを話した。
「学ランかブレザーねぇ。最近は女の子ってスカートじゃなくてもいいんでしょ?」
「そういう高校もあるみたいです。ズボン?スラックス?が選べるところが。僕は男なんで関係ないですけど」
「そうね・・・女の子は選べるわね」
ユメがアゴをお姉さんの膝に乗せて、くうんと鳴いた。
「そろそろ行きます。母さん心配してるかもしれないし。あの・・・ミュール、すみませんでした」
「いいえー。ユメちゃんにも会えたし、君とも話せて楽しかったわ」
僕はリードを引いてユメを立たせ、なるべく目立たないように、空気が漂うように、戻ろうとした。
お姉さんも同じような気持ちでここまで来たのかもしれない。


「ワン!」
あと少しで入ってきた茂みに着くという時、ユメが振り返って吠えた。
カフェの紙袋を持った男の人が振り返った。
その姿が眠れる森の美女を助けに行く王子様のように凛々しくて、あの人のツレであって欲しいと思った。
「お前はもっとオスっぽい名前がよかったか、ユメ?」

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