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ショートショート|しゃべる横断歩道
僕の町には、しゃべる横断歩道がある。
比喩ではない。文字通りしゃべる。
「信号が、青になりました」なんて定型文を吐くだけの、ありふれた代物ではない。
挨拶を交わすことはもちろん、承認欲求を満たす褒め言葉もプレゼントしてくれるし、軽いボケにも全力でツッコんでくれるし、単に話を聞いてほしいだけのときは静かに相槌を打ってくれる。
しゃべる横断歩道は、町の人気者だった。
町に欠かせない存在だった。
お年寄りの話し相手になったり、クイズを出したりして認知症対策にも貢献していた。
信号の点滅に気づいていない人をせかしたり、自動車の交通整備だって見事にやってのけた。
テレビなんて見なくても、今週一週間の天気予報や最新ニュースを知りたければ横断歩道を渡るだけで十分だった。
一時メディアで話題になって、ちょっとした観光名所にもなりかけたこともあったけど、こう見えて横断歩道は結構な人見知り。
恥ずかしがり屋だから、外部の人がいるとしゃべらなくて、結局ただのホラ話として処理されてしまった。
僕の実家は、しゃべる横断歩道のすぐそばにある。そのせいもあって、僕は特別に横断歩道と仲が良かった。親友と言ってもいいかもしれない。
僕が髪を切ると、横断歩道は「よっ、イケメンになったね」と茶化した。
だから僕も、横断歩道が白ペンキで塗り直されたときには「よっ、イケメンになったね」とイジり返した。
いじめにあったり、恋愛で傷ついたりした時、横断歩道はいつでもそばにいてくれた。夜通し話を聞いてくれたし、優しく励ましてもくれた。
誕生日には、お互いにサプライズでプレゼントを渡しあった。僕があげたザ・ハイロウズのステッカーは、今も白い線のど真ん中に貼ってある。
同時期にふたりともヒップホップにハマったこともあった。隠れた名曲を探したり、ラップバトルでディスりあったりもした。
誰にも言えない恥ずかしい悩みや秘密も、横断歩道になら打ち明けられた。僕らの間には、確かな信頼関係があった。
そんな僕らの仲を引き裂いたのは、突然引っ越してきたガラの悪い関西弁の男だった。
「毎晩うるそーて、うるそーて。ろくに寝られへんねや。なんやねん、あの横断歩道。気っ色悪い。ぺらぺらぺらぺら喋りくさって。ビリケンはん見習えやアホンダラ」
普通なら、たった一人の住人の苦情で町が動くはずがない。
でも、その男だけは特別だった。
田舎町の再復興に向けて都会から呼び寄せられた、有名なクリエイティブ・ディレクターだったのだ。
勇気も判断力も持ち合わせないロートルな町議会は、お得意の事なかれ主義を敢行した。
数回におよぶ形だけの審議を行った末、横断歩道発話禁止条例が可決されたのだった。
「もう、話せないの?」
条例が執行される前日の夜、僕はあたりに人がいなくなったことを確認して、横断歩道に話しかけた。
「ごめんね……」
横断歩道は、弱々しく返事した。
「もう、友だちでいられないの?」
今度は、返事がなかった。
以来、横断歩道がしゃべることはなくなった。
町の人気者の喪失に、みんな最初は寂しがったり、怒ったり、文句を言っていた。
けれど、人間はどんな記憶も忘れることができる生き物だ。
みんな、だんだん、横断歩道がしゃべらない情景に、慣れていった。
横断歩道がしゃべらないことが、日常になっていった。
こう言っている僕だって、みんなと大して変わらない薄情者だ。
横断歩道のことを忘れることこそなかったけれど、日が経つにつれて、気にする回数が減っていった。
僕だって、成長する。
身長が伸びて、大学生になった。下宿のため、町を出た。
卒業して、そのまま都会で就職した。
就職先の労働環境は最悪で、ありとあらゆるハラスメントに打ちのめされた。
そして数年経ち、ついにメンタルを保てなくなった僕は、田舎町に逃げ帰ってくる。
町の風景は、少しだけ変わっていた。
例のクリエイティブ・ディレクターの仕事の成果らしい。
ショッピングモールとアウトレットができて、見かけだけは活気づいて見えた。
車の交通量も、増えた気がする。
今は地下鉄の整備を行って、さらに町に人を呼び込むことを画策しているそうだ。
でも、横断歩道はしゃべらない。
夜になって、こっそり話しかけてみたけれど、横断歩道は何の反応も返さなかった。
僕も、それ以上は何も行動できなかった。
大人になって、悪い癖がついた。つい、周りの目を気にしてしまう。たまに通り過ぎるタクシーのヘッドライトにすら、目をそらしてしまう。今なら、町議会の決断にも共感できる気がした。
心の闇を打ち明けることもできず。
砕けた精神を託すこともできず。
ただ、かつての親友の前で、僕は頭を抱えていた。
「――あぶないっ、下がれ!」
不意に、大きな叫び声がして、僕は後ろに飛び退いた。
歩行者用信号が点滅して、赤になる。
何も、起きない。
直後に、二台のトラックが、横断歩道の上をすれ違った。
――途端。
凄まじい轟音と揺れが、僕の周囲を襲撃した。
足元が上下する。立っていることすら、ままならない。
僕はとっさに、家の壁にしがみついた。
揺れる風景の中、横断歩道に視線を向ける。
夜の轟きとともに、横断歩道が、少しずつ沈んでいくように見えた。亀裂が入り、徐々に、白線と白線の間が切り離されていく。
横断歩道を中心に道路が陥没していく。ひび割れた斜面を、トラックが滑り落ちていく。沈んでいく。
昔、横断歩道から教わったニュースを、思い出した。
地下鉄のトンネル工事の影響で、交差点の道路が陥没。例のクリエイティブ・ディレクターの町興しが招いた二次災害だ、と気づいた。
揺れが収まり、腰の抜けた僕の周囲に、どんどん野次馬が集まってくる。
みんな、スマホを掲げて、陥没した道路を撮影していた。SNSに投稿していた。この場にいない知人に電話していた。
嵐のような悪意なき集団行動の中、僕はふと、我に返る。
さっき「あぶない」と叫んだ声は、いったい誰のものだったのだろう。
この無責任な野次馬の中に、その主がいるとは思えなかった。
そう、あのとき、声は前方から聴こえたはずだ。
大きくくり抜かれたように陥没した、道路のあたりから……。
僕は立ち上がり、地面を蹴った。陥没した道路に駆け下りようとして、野次馬のひとりに止められる。
「何をしているんだ、危ないぞっ」
屈強な男性だった。
力では、振り解けそうにもない。
「離してください、まだあそこに、横断歩道が! 横断歩道が残されているんです!!」
必死で叫ぶ僕の形相は、野次馬たちの好奇心をそそったようで、動画になってウェブ上を駆け巡った。
変な人、頭のおかしい人、として町中で話題になった。当然だ。自分で見ても、どうかしている発言だ。しゃべる横断歩道の存在を知らなければ。
おかげで、再就職先にも苦労した。結局、今は伯父の豆腐屋を継いで細々と暮らしている。
陥没事故の間接的原因となったクリエイティブ・ディレクターに、社会が与えるお咎めは軽微だった。道路の修復を終えると、何事もなかったかのように、町を見かけだけ賑やかにする仕事を続けた。
実家のそばには、新しい横断歩道が設置された。何の変哲もない、普通の横断歩道だ。
この町に、しゃべる横断歩道は、もういない。
<了>
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