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多様性ってなに
他人って理解できるものなのか
多様性、多様性ってよく言いますよね。
テレビもSNSも。
でも、多様性ってなに。
言葉の意味はわかります。
簡潔に言えば、たくさんのものに富んでいることでしょう。
他人を尊重しましょう、とか。
様々な考えを認めましょう、とか。
理解しましょう、とか。
そもそも、他人って理解できるものなんでしょうか。
世の中で一番身近な存在の自分自身も理解できないのに、他人を理解するってなに。
寧ろ、うざったくないですか。
理解するって自分のこと大きく見すぎてません?
自分も他人からしたら理解される立場です。
理解するってなんか上から目線じゃありませんか?
それに理解して納得できますか、理解した気になってませんか。
理解じゃなくて、「知る」でいいのに。
理解することは本質を把握することです。
理解する段階には、相手の心を傷つける段階があると思います。
どういったことで傷ついてきたか、その過程を聞かなければ相手の本質を把握することはできません。思い出したくもない記憶を思い出さなければなりません。
その過程を経てば理解することができるのでしょうか。
自分は不可能だと思います。
育ってきた環境が違うから、出会ってきたものが違うから。
結局、本質は捉えきれず終わるのです。
理解しようとする側も、疲れて終わりです。
「私はあなたを理解しているよ。だから、あなたも私を理解してくれるよね。」
なんて押し付けがましい。浅ましい。
知識としてマイノリティを知ることは必要ですが、理解を求めてもいない相手を理解しようとする行為はただの迷惑です。そして、それを押し付けることも。
だから、自分は「知る」「知ってもらう」こそ、相手を尊重する唯一の方法だと思っています。
そもそも、話を聞く段階に否定から入ってくる人間もいるので、尊重もなにもないですけどね。
でも、今自分が否定した人間もこんな自分も含めて、多様性ってやつなんでしょうね。知らんけど。
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