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閑話 #3

「推し」ってなんでしょうね。
「推しが売れて遠くなった気がして寂しい〜」とか聞くじゃないですか。応援しているけれど、執着のような何かもあるんでしょうね。
それは多分自分の幸せを全て推し任せにしているからだと思うのですが。
もし自分が推される立場なら、「神聖化」とか「恋人/友人気取り」とかする人と同様に嫌ですね。

自分の幸せを全て他人に任せるな。


そんなことはさておき、ファンとしての姿、推し方みたいなものを書きました。
今回は書いた理由がきちんとあるのです。
お笑いにハマっていると閑話#1で記しましたが、まあまあな数の芸人さんから3月末日に脱退、解散のお知らせがありまして。
改めて推しとファンについて考えさせられました。

考えているうちに、数年前に自分が配信アプリでセクハラされたことを思い出しました。倍くらいの年齢の方々でした。
そのときに、性欲で頭がコントロールされている方々は声だけで自慰できるし、それを躊躇なく報告できるのだなと知りました。
おそらく、報告すること自体に快楽を得ていたのでしょうね。
顔を見たいとか、凸の写真を送りたいとか、執拗な方もいました。

声で美醜なんてわかんないのに期待してくるな。たとえ、送られてきても反応する訳ないだろ。

言って良いこと、悪いことの区別もつかない随分年上の方々が存在するなんて、クソみたいな世の中だなと思った記憶があります。
何も考えていないからそういったことをするのでしょうし、人間には理性があるのに単純な欲求に従ってしまう、彼らはそういった生き物なんでしょう。

滅べばいいのに。

恨み節の多い閑話#3でした。



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