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【乙】月の満ち欠け/佐藤正午

新しい本を探すにあたって、惹かれる部分が多すぎる一冊だった。

装丁からは、少し硬い印象を与えられた。岩波文庫おなじみの装丁だ。しかし、本来出版社名「岩波文庫」が書いてあるはずの場所には「岩波文庫的」と書いてある。まんまと気になって手に取ってしまった。後から調べたところ、本来岩波文庫は長い年月の評価に耐えた古典を中心に出版しているため、刊行後わずか二年の今作は老舗出版社としても異例のパロディ「岩波文庫的」として出版されたのだった。
また、私は今作の作者佐藤正午さんの作品を読んだことがなかったというのもあり、「めちゃくちゃ硬い本だったらどうしよう。」という不安もあった。岩波文庫の小難しい本を読み切ったという自己満足が得られる確証はあるが、読んでいて楽しい本のほうが良いに決まっている。そんなことを考えていた矢先、帯の文章がずるい。

「小説を読まずとも人は生きていけますし、それでいいと僕は思っているのですが、もし、誰かが、「一冊くらいは読みたい」「しかも、ただの暇つぶしではなく小説の面白さを知りたい」と言ってきたら、佐藤正午さんの作品を読んでほしいと思っています。」/伊坂幸太郎

押されたら引いてしまう人間の性を完璧に逆手に取られた。見かけによらず、柔らかい本なのではないか。
手に取った本のページをぱらぱらとめくると、中には作者本人から読者へのメッセージが入っていた。

「--(中略)-- 偉い「先生」が書いた小説だと思われそうでしょ?直木賞受賞作だし、こういう装丁だし(笑)そうじゃないんです。何か勉強になる小説でもない。そこらへんのお兄ちゃんが書いた小説だと思ってもらっていい。ただおもしろがってもらえればいい。どうぞ楽しんでください。」

あまりにもこちらの心を見透かしたようなメッセージに完全に心をつかまれ、この本を読む運びとなった。
「月」だけに引力が、、とか適当なことを書きそうになったが、冷静に考えたら月の引力は地球よりだいぶ小さい。

物語冒頭、過去に娘と嫁を事故により失った男「小山内」が一人の少女と対面している。少女はやけに大人びた仕草で、まるで小山内のことを昔から知っているかのような口ぶりで会話している。この時点で、読者からすると小山内とその少女の会話は違和感のあるものだった。というのも、その少女は小山内のかつての娘の生まれ変わりなのだ。

「現在」パートでは一冊の中でたった90分間分の、小山内と少女の会話が進む。その間、3つの回想パートが挟まり、その一つ一つを読むにつれて現在で進んでいる会話の意味がだんだんと分かってくる。現在対面している少女はかつての自分の娘であり、また、その前は別の社長の娘であり、更にその前は別の男性の恋人であった。まるで月の満ち欠けかのように死に、そして生き返る「転生」を繰り返している。
最初の十数ページこそ違和感を抱えたまま読み進めなくてはならなかったが、物語が進むにつれて冒頭に抱いていた違和感が消え、自然と加速するように読み進んでいく感覚があった。

「生まれ変わり」というテーマ自体、現在でも信じられている地域があったりなかったりするような、迷信的な存在である。この本における「生まれ変わり」も何度起こっても周りの人間を翻弄し、最後の最後までうまく受け入れられない。前世で自分を知る人物に再会しまうことが必ずしも喜ばしいことではなく、予想もしていなかったような悲惨な事態をも招くということにも気づかされた。そのような部分にこの本の「リアリティ」を強く感じ、日本のどこかで起こっている本当のことをのぞき見ているかのようだった。

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