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「性別を超えた恋愛」って、異性愛のほうじゃないですか?

皆さま、ご機嫌よう。

お久しぶりの投稿になってしまいました。更新できていない間は、日々をただ生きることに必死でした。今回は短めに疑問提起だけします。

最近はLGBTをテーマにしたドラマや映画が増えてきたように感じます。私はそういったテーマの作品を好んで鑑賞しますが、違和感を覚えることが多々あります。それは、そこでよく宣伝で使われるコピーライトである「性別を超えた恋愛」です。

同性愛は性別を超えていない

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「性別を超えた恋愛」

文字通り捉えると違和感がありませんか?同性愛とは”女性が女性を好きになること”もしくは”男性が男性を好きになること”です。これって、性別は超えていないですよね。むしろ、性別を超えている恋愛というものは異性愛であるような気がします。

私にとっての異性、つまり男性に近付くには、最初にひとつ壁がある気がするのです。それを作ってしまっているのはきっと私自身なのでしょう。

同性愛は性的嗜好を超えていない

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同性愛者が好きになるのは同性です。性的嗜好の範疇の中での恋愛は、なにも超えるものはないのではないでしょうか?

もし同性愛者が異性を好きになったとき、それは性的嗜好の範疇を超えたということで「性別を超えた恋愛」になるでしょう。

美談として語られがち

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同性を好きになるということは、同性愛者としては当たり前のことです。マジョリティである異性愛者が理想化し、メディアニーズに応えたかたちが「性別を超えた恋愛」として同性愛を美談としてフィクションにしてしまっている気さえします。

同性婚が法的に認められるようになれば、同性愛がノンフィクションとして周囲にあることを認められる世の中になるのでしょうか。

さいごに

同性愛が「性別を超えた恋愛」として語られなくなるには、もっと同性愛が異性愛と同様に当たり前にそこにあるものという認識になることが必須だと思います。もう少し時間がかかってしまうでしょうが、私はそんな日を待ち望んでいます。


限界生活の足しになります