二つ目のぬか漬けと邪悪なる納豆

お腹が痛い。最近ずっと痛い。
おおかた、乳酸菌の摂り過ぎによって腸が元気に暴れまわっているのだろう。
それでもわたしは乳酸菌の摂取をやめられない。ぬか床から目を離すことができない。

事は半年ほど前に遡る。
母から電話がかかってくるのは毎日の事だ。
ついつい長話をしてしまうことが多いので少し身構えながら電話に応答すると、想像しなかった第一声を受けた。

「ぬか漬けを始めてさあ!」

出た。新しいことを取り入れてご機嫌な母。ご機嫌で本当に何よりです。新しいことって楽しいものね。
そんな風に思いつつも、最近無印良品で見かけた「発酵ぬか床」を思い出していた。
最初はハイハイ、ヘェーと聞き流していたものの、だんだんわいてくるぬか漬けへの興味と健康への意識の高まり。
気付いた時には家から最も近い無印良品まで自転車を走らせ、「発酵ぬか床」を手にしていた。

それからの毎日はたいへん素晴らしいものであった。
ぬか床をかき混ぜ、野菜を掘り出す楽しみは砂場で遊んだ子どものころを思い出させた。
掘り出した野菜たちは、2合分の鍋炊きご飯を簡単にお腹の中へと案内する。
もちろんお弁当に入れてもいいし、お酒のおつまみとしても非常に”ちょうどよい”ものだった。
食べ始めてから、かなり生活が豊かになった。野菜を突っ込んでおくだけで勝手におかずが一品完成するのだ。
ああたのしい、おいしくて健康で、美容にもいいらしい。なんだか肌もきれいになったような気がするし寝つきもよくなった気がする。給料も上がったし、多分もうそろそろ石油王との婚約が待っていることであろう。あと宝くじが当たる。それもこれも全部ぬか床のおかげだ。

そして、ぬかライフデビューから数か月後。わたしはついに、ぬか床専用の杉の箱、ぬか箱を購入した。
ぬかライフをより充実させるために。

しかし幸せはそう長くは続かないものだ。
わたしとぬか箱とぬか床たちの幸福な生活は、悪魔の豆粒によって一変させられたのであった。

多くの偶然は、邪悪なる納豆菌がぬか床にいたずらをするのに十分な環境を生み出していた。
いつもはぬかををかき混ぜたあと野菜を埋めて、きっちりとふたを閉め、定位置―棚の決まった場所―に保管しているが、仕事に疲れたわたしは、ぬか漬けを洗って食べたところで満足してしまったのかぬか箱にふたを載せただけの状態でしまわずに置いてしまった。
あろうことか、疲労回復アイテムとして愛飲していた納豆(納豆は飲み物である)の食べガラをその隣に放置してしまったのだ。
さらに、一晩で回復しなかった疲労は朝寝坊を誘発し、翌朝もその状況を整える時間をわたしに与えなかった。

これらの些細なことが集まってどんな悲劇が起きたか想像できるだろうか。
ぬか床は納豆菌に侵食されて、ぬとぬとになった挙句に異臭を放つ生ごみへと進化してしまった。
何のにおいかと問われればそれはうんこだ。埋まった野菜はずるんと溶けており、かわいそう。
ポケットに入れっぱなしのiPhoneに訊かずとも、ぬか床が悪魔の豆粒に負けてしまったことは明白だった。
わが子の様に大切に大切に育ててきたぬか床が、納豆菌の手によって1日で変わり果てた姿になってしまい、久しぶりに”ガチ”の涙を流しながら、その変わり果てたわが子を箱ごと始末した。殺してしまった子の死体を処理する親の気持ちだ。

腐ったぬか床の処分はかなり大変だった。もうこんな悲しい思いはしたくない。
もうぬか漬けはしない。そう心に決めた。

それから約3か月後の現在、わたしは毎日ぬか床をかき混ぜる生活を送っている。
母からぬか漬け初挑戦の食材について速報されるたびにうらやましくて、やっぱりどうしてもぬか漬けが食べたくて、新しいぬか床を用意したのだ。
なすやにんじん、きゅうりにエリンギ。うずらのたまごに昆布もいれて、またまた最高のぬか床ができつつある。
幸福だ。お腹は痛いが。

その後のわたし家では、納豆の持ち込み禁止というルールが発布された。もし申し入れなく納豆を持ち込んだ輩がいたら、わたしはその不届者を道路に面した大きく開く窓へ追いやって、納豆ごと落とし、軽いけがを負わせることになるだろう。わたしを犯罪者にしないためにも、わたし家に納豆は持ち込まないでほしい。何卒よろしくお願いします。

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