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オンライン化がもたらすものをポジティブ変換してやろう【20分エッセイチャレンジ】

新型ウイルスの影響により、社会では様々な変化が起きている。そして、それに右往左往しながらもみんな何とかしのぎ、そこに楽しさを見出す人も、ネタにして笑いを生み出す人もいる。

でも、やっぱりしんどくて前向きになれない人もいて、しんどいとまではいかないけれど、学校とか行政とか、個人よりも大きいものを批判する人もいる。

そんなオンライン化による影響のひとつに、怠惰さの露呈があるように思う。

たとえば、学校。オンライン授業が不便だとか、集中できないとか、誘惑が多くて合わないから大学で講義を受けたいだとか。図書館じゃないと勉強できないとか、受験を控えているのに学校は何もしてくれないとか。

そんな不満がネット上にあふれているし、高校や中学校に勤めている知人からもそんな話を聞く。

他方、そうでない人もたくさんいる。私が把握していることなんて世界のほんの一部の、偏った一辺なのだから。

これまでどこかに集まって、何となく時間をやり過ごしていた人、その場所にいくことに意味を見出していた人が、そこに集えなくなったことで違和感、不安、不便を訴えている。

でもそれって何だか本質からずれていないかと思ってしまう。

授業とか勉強とか仕事とかそういうものって、そもそも前のめりであればあるほどよいはずのものではなかったか。

たとえば勉強なら、授業は学びの一つの手段ではないのだろうか。ネットに、教材に、参考書に、ヒントや正解、先人の・識者の意見や解説がまとでもめられているし、分からなければ友達や先生にメールすればよい。

ゆっくり時間を取って学ぶことのできるいい機会ではないのかな。そう思ってしまう。

確かに友達と会うこと、部活をすること、クラスに集うことはかけがえのないことであるし、それ以外にも今しかできないことができないのが現実だ。でも今は仕方ない。

仕方ないものは仕方ない。ではどうするか、何ができるか。それを考えて実行した人が来年の春何かを得ているはずだ。

オンライン化での不便とか不都合とか、そういうものをまるっと何かポジティブ変換できるエネルギーの元でありたい。オンライン化がきっかけで、こんなことができるようになった、不便だったけど転機になった、とか、優しい目をして言える人であろう。

前向きに道を切り拓いていく力強い面白味のある若者。それって何だかかっこよくないか。少なくとも、私にとってはかっこいい。

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