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問題解決を提案するときに、なぜ脅したり辛さを強調するのか。良いところを押していこう。ハッピーになろう

太ってるから、毛深いから、脱毛が甘いから、胸が小さいから…

コンプレックスを刺激されるようなつらい展開を迎え、自己肯定感がゼロになり、でも親切な誰かが解決策や奇跡に近い製品・サービスを教えてくれて、トラウマも乗り越えつつ自分のコンプレックスを解決する。

Youtube広告などで、こんな筋書きのアニメを見たことはないだろうか。

広告になっている以上、またYoutubeという有名なプラットフォームで打たれているのだから、ある程度支持されているのだろうし、結果も出しているのだろう。

でも、いやだ。見たくないのだ。

昨今のボディポジティブな風潮だったり、容姿をネタにしたりすることはかっこわるいよ、というかつまらないことだよという認識が広まっている中での、こういった広告たち。なんだかなあと思っているのは私だけだろうか。

コンプレックス意識をついて、人を不安にさせることって、素敵なことじゃないと思うのだ。非常にかっこ悪いと思う。

それが広告という媒体であるならば尚更。

こういった広告を見ることで、ターゲット層が自己卑下的になり、自ら機会や可能性をつぶしてしまったりといったことが起きていそうで怖いのだ。

少なくとも、私はこの手の広告を見ると、そうなる。

自分のコンプレックスにみんなが注目しているような気持になり、目立たないように小さくまとまろうとしてしまう。

体毛や丸顔がコンプレックスだった(今も)私には、この手の広告は自己否定の記憶への扉なのだ。


広告ってそれでいいのだろうか。商品・サービス売りってそれでいいのだろうか。

誰かに何かを買ってもらいたい・契約してもらいたいという気持ちが先行して、買い手や消費者の幸福をスルーしていないだろうか。

商品・サービスのファンになってもらい、購入・使用を通して幸せになってもらう・より良い生活を手に入れてもらう。そこまでが消費体験ではなかろうか。

世界のみんなをハッピーにできなくても、少なくとも消費者に、ちょっとハッピーになってもらいたい・ちょっといい気分になってほしい。そういう気概で働きたい。

否定的なYoutube広告コンテンツから、建設的な学びを得た。そういう内容の記事でした。

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