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johane
許せないから許せるへ
義理の母との付き合いももう23年目を迎える。
結婚当時22歳だった私は、
実の母よりもいくつも年上の義母が怖かった。
愛知県で育った私にとって、
初めて出会う生粋の関西人女性だった。
あけすけな言い方をする時もあれば
裏の意味を感じさせる話し方をする時もある。
時と場合によって
その両方を使い分けるものだから、
ストレートな物言いをされてショックを受けることもあれば、察し足りない嫁に不満を持っている義母の様子が見えて落ち込むこともあった。
当時の私にとっては本当に恐怖だった。
義母の求めるままに動くのが正解だと誘導され、そして義母の気分に翻弄されていた。
私は20年かけてどんどん自分の意見を手放し、
反撃はできず、でも悲しみや恨みを募らせてた。
今となれば全て
義母の執着や寂しさがそうさせていたと思える。
「夫のため、私のため、孫のため、
他の人たちは…」
みたいな、そこから始まるアドバイスは聞かなくて良いという事例の見本になりそうな言葉のオンパレード。
1人の人間として未熟だった若い私にとっては、
日頃から自分の意見をダメ出しされる恐怖と
そこから支配されるループが当たり前になり、
義母の許可を得るために自分を諦めていった。
「義母はああいう言い方で否定しそうだ」
「義母が鼻で嗤うのではないか」
「義母は、義母は、義母は…」
義母の言動予測が上手くなった。
でも、自分を無くした私には、対抗策を打てる気力はどこにもなかった。
今思うと本当に辛かった。
もっと早くに今の心境にたどり着きたかった。
でもね、20年かけてでもここに至れてよかった。
ずっと許せなかったけど、もういいか。
でももう会いたくないわ。
と言いつつ、実家の目の前に住んでるw
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