毒親がいることを恥じるのに20年かかった話


私が小学生の頃、母子家庭はまれだったように思う

いや、もしかしたら
学校の先生たちが、他の生徒に知られないように
過剰に周りに配慮していたからかもしれない

思い返せば
父の日などのイベントごとは苦痛でしかなかったし、
運動会や授業参観なんて特に好きではなかった

父親がいないことが周りと違っていたから。
母子家庭でいることが恥ずかしかったから。

小さい時の出来事を鮮明に思い出せないほど
私の頭の中では、その記憶に何重にも封がされていて
いくら思い出そうと頑張っても思い出せない

自己防衛なのか
それほど思い出したくない辛い記憶なのか、そのあたりなんだと思う


私が高校2年生になり、
仲がそれほど良くなかった姉が北海道に引っ越した

姉と母親が結構前から関係がギスギスしていたのは知っていた

その時の私は、
どんなにケンカしたって家族の仲は元に戻ると信じて疑わなかった

おそらくそれは私の願望でしかなかったんだと思う

結局、姉から母親との縁を切った、と聞いた

それ以来、私や妹、弟に対して
母親は「これだけ頑張っているのに何でわかってくれないの」とダルがらみしてくることが増えたし
「なんであの子はああいう子なの」と姉の不満を関係のない私たちにぶつけてくるようにもなったし
「あんな子にならないでね」と暑苦しいことを言うようにもなった。
「お前たちがいなかったら今頃一人で自由に暮らしてる」「早く出て行って」「本当は生みたくなかった」「生活できているだけでも感謝しろ」とハラスメント的なことも平気で言ってくるようにもなったし
「実の親に育てられたことがない」と親に捨てられた不幸話で同情を煽るようにもなった

窮屈な2年間だった




大学生になって、実家を離れたからか
そんなに仲良くなかった姉と話す機会が増えた

その時期に、あの時母親との間に何があったのか初めて聞き
やっと私の母親は毒親なんだと認識した


 


自分で自分を悲しくさせたくないから、なるべく母親とは距離を置いている
実家に行くこともほとんどない

社会人の初めころは、お盆と正月は地元に帰っていたが
悲しいことに、一瞬で幻想だと気づかされる

今回は違うだろうと、何度思ったかわからない
それが何度もあった。
28歳にしてやっと学習した。


いつの日かを境に、母子家庭で育ったことも平気で口にできるようにもなったし
母親と仲良くないこともさらっと人に言えるようになった

自分の中で、親に対する負の感情を整理できた証拠だと思う。


今でも仲がいい家族に憧れはあるけど
そんな環境に恵まれなかったのなら作ればいい。

あの窮屈な子供時代より、今が幸せだと感じれる私は成功な人生を送っていると思う。




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