ことばを忘れるとき、忘れないとき
現役時代、ひとつの作品に出演するたび、演じる役のせりふを何度口にしただろうか。
セリフを覚えるまで。覚えてから。稽古中。本番。
1万回とはいかずとも、数千回は声に出している。
そして本番が終われば、また別の作品のセリフを声に出すことになる。
そうやって何十作品もの(もしかしたら百を超える数の)演劇に出演してきた。
私は自分の演じた役にものすごーく愛着を持つタイプなので、それぞれのセリフが私自身にも大きな影響を与えている。
たとえばリジーの、エミリーの、蓉子の、女1の、ブランチの、「彼女」のセリフたち。
心のなかに大事な宝物を忍ばせるみたいに折りたたみ、たまに取り出してみては、かつて演じた彼女たちから力をもらったり、演じていたときの彼女らの気持ちとシンクロして泣いたりしている。
そういうかつての「セリフたち」を、最近とんと思い出せない。
どの役のどんな場面なのかは鮮明に思い出せるのに、肝心のセリフが出てこないのだ。
舞台から離れてどんどん時が経ってしまうと、心のなかにセリフをしまっておく能力もすり減ってしまうのかな、と少しさみしくなる。
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しかし、10年前に出演したミュージカルの、自分が歌ったナンバーの歌詞はしっかり覚えていた。
私が21歳のとき、ミュージカル未経験ながら主演に抜擢され、死に物狂いで歌とダンスを練習した作品だ。
私はこの時演じた役が大好きだった。
いや、自分が演じた役はすべて好きなのだが、この役は格別だった。役者人生のなかで彼女を演じられたことは私の誇りのひとつだったのだ。今でもその役名をつぶやくだけで、心にぽっと火がともる。
10曲くらいあるナンバーのなかで、彼女が本心を打ち明ける曲がある。タイトルは『素朴でささやかなもの』。
地位や名誉よりも、誰かと愛し合い、素朴でささやかな暮らしをしていきたいという曲である。
今にして思えば、彼女を演じた頃の私は若くて野心満々で世間を知らず、結婚して愛する人との家庭を守りたい、という彼女の気持ちを真の意味では理解できていなかったと思う。その証拠に、このナンバーは特に好きな曲ではなかったのだ。
演じていた当時激しく共鳴した、ほかの作品たちのセリフは忘れてしまったのに、なぜ特に好きじゃなかったナンバーの歌詞は覚えているのか。
ここでちょっと、歌詞の一部を紹介したい。
たぶん、この歌は今の私の「芯」の部分にものすごく共鳴しているのだ。
だって今の私は痛いほどわかっている。「誰かと肩寄せ合い 愛し合い歳をとる」「ささやかな つつましい夢」を叶えることが、どれほど幸運なことか。それがどれほど尊くて、どれほど儚いことか。
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かつて「私」に激しく共鳴し、心の拠り所になってくれていた「セリフたち」は、私が経験を重ねて、考え方を変えていくのと同時に、するするとこの身を離れていったのかもしれない。
それは自然な別れで、その代わりに、「今」わたしに必要な「セリフたち」(今回の場合は歌詞だけど、ミュージカルなので歌詞もセリフにカウントできる)がまた今の私を支えてくれるんだろう。
今は誰かの役を演じることもないので、新たな「セリフ」に出会う機会はないかもしれない。
しかし「セリフたち」は、読んだ本やコラムの一説やハッと胸を突いたキャッチコピーに姿を変えて、また私と激しく共鳴してくれるだろう。
どんな言葉を忘れて、どんな言葉を忘れないのか。
それは、今の自分自身を示す指針になっているのかもしれない。
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