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老人の時間は早く過ぎる

またnoteに文章を書くのが、だいぶ久々になってしまった

ここには人生100年時代と考えると残り20年弱の実チチと義理ハハの二人の80オーバーの一人暮らし老人とどう付き合っていくか、ということを記録として残そうと、ついでに書くことでうさでも晴らそうと始めたのだけど・・・

ここに綴り始めた途端に、あれよあれよと状況は変化した

私に子供はいないけど、ついこの間、ハイハイしていた赤ちゃんが立って歩いて喋ってと、成長が早いのと同じく、老人の時間も早く流れる

ここに綴って、ストレスも解消しちゃおう、なんて時間はなかなか見つからなかった

そんなうちに義理ハハは82歳でこの世とオサラバしてしまった

病院から呼び出しをされたのが2020年の春。病院にちゃんと来たりこなかったりでお医者さんとの話も理解できてないようだから、誰か来てくださいとのことだった。その後、その都度、行ける家族が付き添うことになり、在宅仕事で一番義理ハハがものを頼みやすい私が主に引き受けることになった

お友達との約束を忘れることが頻発して、隣に住む在宅の嫁がいたな、ということで、義理ハハのお友達がピンポーンと来ては、約束を私に念押しするとか、テレビがつかないだの、家具や電気の位置を変えて欲しいだの、買い物して欲しいだの、字が汚いから代筆してくれだの、

病院に付き添うだけかと思っていたら、あれよあれよと雑用が以前より増えて、呼ばれる機会が増えた

三男の嫁だし、ただ隣というだけで、裏には次男もいる。そもそも長男も自転車で行けるところに住んでいる

なんで私だけがやるんだよ、と、夫に文句を言ったこともあるし、次男や長男の嫁からは本当にごめんねと謝られたこともあった

同じ都内とはいえ、少し離れたところに住んでいる実チチの世話もある程度必要で、ジジババの面倒ダブルで、どうしたもんだかと思っていた

そんな時に、腹を括った

人生100年ならば、後まだまだ何年もこの状態が続くのだから、サステナビリティ〜継続可能な世話、付き合いしなければと

どうせ付き合うなら楽しまなきゃダメだと。いやいやで何年もできるわけがない。私が潰れてしまう

嫁だからちゃんとしなきゃとか、娘だからやるべき、ではなく、

人生終盤の彼らと一緒にどう私は生きていくかだなと

そりゃ私でない他の誰かがちゃんとやってくれたらどんなに楽かと思うことはあった。だけど、他の誰かがやったらわからないことがきっとあるし、何かこれは大事なチャンスなのかも、とも感じた

そこでこのnoteを書き始めたのだけど、書いていない間に、実ハハのスピードが早まり、病院に付き添って雑用するだけでは済まされなくなった

比較的丈夫で元気な実チチも日々言うことも変わるし、1年後には再び、骨折し、ガンも見つかった

老人の時間はゆっくりと流れているように思っていたけど、この世にお別れというゴールテープに向かってラストスパートかけるみたいに、急に早まったりする。病気だったり、体調だったり、老化だったり、本人の気力だったり、何かのきっかけで物凄いハイスピードに

正直なところ、義理ハハには、ラストスパートをかけられまくった。近くにいれた私や夫は、それに気づいていたから、もうゴール見えてるんだな本人には、今日でも明日でも終わりは近いと感じていた。しかし、コロナ禍であまり会えていなかった他の息子と嫁、孫、彼女のお友達たちにしてみれば、あまりにも急なお別れに感じただろう

秋田の強豪校のバスケ選手で、踊りの達人で、太極拳の師範だった義理ハハらしい、最後の激しいスパートだった

実チチは幸いにも抗がん剤が適合して食事もでき、一応、普通に暮らしを継続しているが、100歳までは生きそうだなー図太いし!という陰口ももう叩けるほどじゃなくなった

義理ハハの納骨も終わり、彼女の住んでいた家は他の人が住むことになり、最後の私の仕事は彼女の日用品や洋服を処分。それも完了した

そこでまた急に何があるかはわからないけど、noteに高齢の義理母との覚え書きとこれからもサステイナブルでなんとかやっていく実チチのお世話で感じたことなどを書いていこうと思いました

ゆっくり無理せずそれぞれができる範囲で

私なりの義理ハハと実チチと、それを取り巻く人たちとの付き合い方のモットーと同じくnoteとも付き合おうかなと思ってます


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