映画 1917 とロード・オブ・ザ・リング ~トールキンのトラウマを追って~

 私は昔から古今東西を問わず、ミリタリー系の分野に関心がある。そんな中でも、ここ数年、第一次世界大戦への興味が高まってきた。といっても、世界史の教科書や新書、映像の世紀、Youtubeの解説動画を見て知識を仕入れる程度で、専門的な情報収集をしているわけではない。

 そんなレベルでも、いろいろと小ネタは集まるものだ。塹壕戦、機関銃・飛行機・毒ガス・戦車の登場などは学校でも学ぶことだ。ヴェルダンの戦いやソンムの戦いで合わせて200万人弱の死傷者がでたり(旅順攻囲戦の死傷者でも日露で10万人強)、情報連携がうまくいかず味方の砲弾で歩兵が多数死んだり、突撃をしようにも砲弾の穴に水がたまり、誤って落ちて溺死する兵士が多数に上るなど、まさにこの世の地獄である。

 一方、第一次世界大戦については、白黒の写真や短い映像がぽつぽつと残っている程度で、またそれもプロパガンダ的に撮影されたものが多く、その地獄がどのような様子であったかは主に文字で伝わっている。オタクとしてはやはり映像で見たいと思うものである。

 そんな中、最近「1917~命をかけた伝令~」が公開され、見に行った。内容としては、ドイツ軍の罠に気が付かず攻勢をかけようとする大隊への攻撃中止命令を、危険な地帯を通り抜けて届けに行くという話である。第一次世界大戦において、伝達不足で多数の犠牲が出るのはよく聞く話なので、当時としては日常的な話であったと思う。

 しかしこの映画がよくできているのは、我々の持つ第一次世界大戦のイメージを驚くほど忠実に再現しているところである。部隊が鉄条網に阻まれて機関銃で虫けらのように殺されていくようなシーンがないのは残念(?)であるが、前線の塹壕の兵士の疲れ切って土壁と一体化している感じや、「あ、砲弾の穴に水がたまるってこんな感じなんだ、これは落ちたら死ぬわ」というような、マニアにはたまらない映像が満載であり、かなり満足度が高いものであった。

 視聴後、余韻に浸りながらいろいろと調べていると、指輪物語の作者トールキンが、第一次世界大戦に従軍し、ソンムの戦いに参加していたということを知った。指輪物語が原作の映画「ロード・オブ・ザ・リング」は、小学生の時に家族と映画館で見た。小学生にとってはなかなか怖いシーンも多かった一方、二つの塔などは2回見に行くほど引き付けられるものがあった。ヘルム峡谷砦の攻城戦などは絵に描いたり、LEGOで再現したりしたものだ。これは子供なりに、恐怖やショック・トラウマを、再現することにより解消しようとした行為だったのではないかと思う。とにかく、私のミリタリーへの興味、特に中世ヨーロッパの攻城戦への興味はロード・オブ・ザ・リングによりかなり強化された部分があったのは間違いない。

 それから十数年の歳月が流れた今、指輪物語のトールキンがソンムの戦いに参加していたことを知った。私はまだ見ていない映画「トールキン 旅のはじまり」では、指輪物語は、彼の第一次世界大戦でのトラウマの昇華によって生まれたものであると描写されている。

 確かに、第一次世界大戦と指輪物語を比べると、いろいろと似かよった部分がある。例えば、WIREDの記事「『トールキン 旅のはじまり』には、偉大な作家の目に映った「想像の源」が描かれている:映画レヴュー」(2019.08.31 EMMA GREY ELLIS)によると、「トールキンは、自分の物語で「死者の沼地」や「モルドールの黒門」といった風景を描き出すことができたのは、ソンムの戦いにおける経験があったからだと考えていた。」と言及している。

 なるほど、死者の沼地のシーンは、砲弾と雨で泥沼状態になった塹壕間に多数散らばり、埋もれている死体の山を連想させる。人間・エルフ・ドワーフVSサウロン・オーク・ハラドリム(象を連れたやつ)は、イギリス・フランス・ロシアVSドイツ・オーストリア・オスマンの構造である。迫力ある攻城戦は塹壕戦的であるし、ヘルム峡谷の城壁が世界観にそぐわない「火薬」によって破壊されるシーンは、パッシェンデールの戦いでドイツ軍陣地に対する爆破攻撃(人間が意図して行った爆破としては核兵器以外では最大規模で、1万人のドイツ兵が壊滅したとされる)から着想を得ているかもしれない。

 私は、トールキンは通信士官として戦争に参加していたというところが重要であると考える。当時の通信機は故障も多かったと聞く。通信機が故障すると、場合によっては通信部隊の兵士が直接伝令として情報を伝えに行くことも多かったのではないか。映画「1917」はまさにその任務の危険性を描写した作品である。また、例えばNHKドラマ「坂の上の雲」の旅順攻略戦では、乃木希典の息子が伝令に走る途中でロシア軍の砲弾によって戦死する様子が描写されている。トールキンは、通信部隊において、大切な情報を伝達するために命をかけて少人数で出かけていく戦友を何度も見送ったのではないか。その姿は、指輪を葬るため火山に向かうフロドとサムを連想させる。指輪物語は、伝令に行って戻ってこなかった戦友たちに捧げる鎮魂の物語なのだ。

 さて、これまで第一次世界大戦と指輪物語の関連を指摘してきたが、最後に、これは私にとって面白い発見だ。つまり、子供のころの私は、ロード・オブ・ザ・リングを通して第一次世界大戦の戦場を見ていたということである。トールキンのトラウマを見ていた、といったほうが正確かもしれない。初めに、ここ数年第一次世界大戦に興味が出てきたことを指摘したが、私のロード・オブ・ザ・リングに始まり、第一次世界大戦へと至ったこの旅路は、まさにトールキンのトラウマをたどる道であった。第一次世界大戦のトラウマは、100年の時と1万キロの距離を超えて、私にも刻まれていたのである。

(終わり)

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