【AIとつくる万葉集】 「友の繁栄を彩るアジサイ」- 万葉集20巻4448番
はじめに
AIとつくる万葉集へようこそ!
この連載では、私たちは今注目を集めるChatGPTやMidjourneyといった生成系AIを活用し、古代の叡智と現代のテクノロジーの融合を通じて、万葉集の美しい一節をお届けしていきます。
詳しくは下記よりどうぞ
どうも。たかまさです。
あなたは、梅雨の季節に何を連想するでしょうか?
長雨、夏至、紫陽花、カエルにカタツムリなどがパッと頭に思い浮かびますね。
紫陽花をピックアップして1300年前の僕たちの先祖はどのような表現をしていたのか紹介したいと思います。
それではどうぞ。
1:今回の一首
20巻4448番の歌 著者−橘諸兄(たちばなのもろえ)
<現代語訳>
紫陽花が八重に咲くように、あなた様にはこれからも末永くお元気でご繁栄されますようこの花を見ながら(見る度に)お祈りしています。
2:歌が生まれた背景
丹比国人真人(たぢひのまひとくにひと)という官僚の慶事を記念する宴で詠まれた歌とされています。
平たく言うと、お祝い事に贈った歌です。
紫陽花の花が八重に咲くように、末永く繁栄してくださいといった内容です。
「八つ代」の「八」は、たくさんでめでたいとされる数です。
今日でも、末広がりで縁起が良い言葉とされていますよね。
さて、そのようにお祝いされた丹比国人真人。
名前なのか役職名なのかよく分からないお祝いされた丹比国人真人(たぢひのまひとくにひと)と、お祝いの歌を贈った橘諸兄(たちばな の もろえ)について少し深掘っていきます。
丹比国人真人(たぢひのまひとくにひと)
丹比真人国人(または丹比国人)は、多治比氏の一員でした。
多治比氏は、宣化天皇の三世孫多治比王を祖とする皇別の氏族で、丹治比・丹治・丹比など様々に書かれていましたが、本来の書き方は多治比だったとされています。彼らの氏はもともと君で、後に真人になりました。
天皇と血の繋がりがある家系ということです。
また、彼は長歌1首と短歌3首を作ったことで知られています。
彼のキャリアは天平8年(736年)から始まり、その間に民部少輔、大宰少弐、大皇大后装束司、聖武大葬装束司、摂津大夫など、様々な役職に就いていました。天平勝宝1年(749年)からは正五上の官職に昇進しました。
しかし、天平宝字1年(757年)7月、橘奈良麿の乱に連座し、遠江守(任国)から伊豆に配流されました。この乱により多治比氏は大きな打撃を受け、平安時代以降、官界での活動は衰えたとされています。
現代風に言えば、
「輝かしいエリートコースを歩み、栄光を手にした物語─しかし、最後に彼を襲ったのは運命の冷酷な一撃だった」
的な感じでしょうか。
橘諸兄(たちばな の もろえ)
橘諸兄(たちばな の もろえ)は、奈良時代の皇族・公卿で、敏達天皇の子孫です。
出生が良かったことから。政府でも高い地位にいて、「井手左大臣」や「西院大臣」と呼ばれることもありました。
霊亀3年(717年)に5番目に高い地位になり、その後も少しずつ地位が上がっていきました。神亀元年(724年)に新しい天皇が就任したあとも、彼の地位は上がり続けました。天平8年(736年)には、彼の名前が「橘諸兄」に変わりました。
天平9年(737年)には、天然痘という病気が流行し、たくさんの人が亡くなりました。政治的権力を握っていた藤原四兄弟も天然痘で亡くなり、政府で働ける人が少なくなり、橘諸兄が大事な役割を果たすことになりました。その後も、彼は重要な役割を果たし続け、政府を支えるようになりました。
天平12年(740年)には、橘諸兄を批判する人が現れ、乱を起こしのが藤原広嗣の乱。
それに対し、天皇は都を移すことを決め遷都を行いました。
その後も藤原氏との関係もありつつも天皇の補佐をしながら、天平勝宝9歳(757年)に死去。享年74歳。
3:今回のポイント〜アジサイは古来珍しい花だった〜
アジサイと繁栄
この歌のポイントは親しい人の発展、繁栄をアジサイの花で表現しているところです。
この歌の「紫陽花の八重咲くごとく」という部分ですが、皆さんはどのような紫陽花の姿を思い浮かべますか?
現在、馴染みのある紫陽花は、多くの花びらが美しく集まって咲き誇り、繁栄を祝うイメージが出来ますよね。
しかしながら、時代を遡ると、私たちが頭に描くアジサイの姿は、ガクアジサイという国産の品種のみだったらしいのです。
八重に咲くと聞けば、そのイメージもそうと思えるかもしれません。
しかし、所々に咲くアジサイの様子は、どこか繁栄から離れた静寂さを伴っているようにも見えます。
興味深いことに、万葉集に詠まれた紫陽花についての歌は僅か2首しか存在しません。また、源氏物語や枕草子、新古今和歌集にもアジサイの姿は見当たりません。もしかすると、その時代ではアジサイはあまり注目されていなかったの可能性も考えられます。
「背子(せこ)」という言葉の意味
では次に、「背子(せこ)」という言葉に焦点を当ててみましょう。
「背子」は女性が夫や恋人、または兄弟を親しみを込めて呼ぶ語のことです。その為、橘諸兄が宴の席で、女性の立場から詠んだ歌ともされている所以です。
では、この現代では馴染みの薄い「背子」について考察してみます。
「背」は、「背中」や「後ろ」を意味し、物理的な位置関係を示す漢字です。この表現を人間関係に当てはめて解釈すると、「背」を持つ人が他人に対して背を向ける、すなわち他人の立場や身分を尊重する行動を示していると捉えることができます。
「子」は、「親しみや愛情」を象徴する言葉です。
この結果、「背子」とは、「相手を尊重しつつも深く愛する」という感情を表す言葉となります。
なお、この言葉が親しい男性同士でも使われていたという説もあります。
橘諸兄が本当に女性の立場から詠んだのか詳細は不明ですが、そういった遊び心を詩に織り込んだとすると、それは何とも粋な試みではないでしょうか。
4:GPTが詠む和歌〜「紫陽花」と「繁栄の祈り」と「宴」〜
では、今回から紹介した万葉集のキーワードをもとにAIに和歌を作ってもらい解説までしてもらいます。
キーワードは「紫陽花」「繁栄の祈り」「宴」です。
<GPTが詠んだ和歌>
『目に映る 紫陽花は 願い舞う 繁栄の花束 祈りの色彩』
個人的には、花びらが舞う様子に自分の願いが叶うことを重ねた表現や、祈りの色彩を感じさせる表現も好きです。
粋な歌を作ってくれますね、GPT。
それでは、また!
【連載概要】
万葉集とは?
万葉集は、日本最古の歌集で、約4500首の歌が収録されています。奈良時代から平安時代にかけて成立し、恋愛や自然、季節の移ろいなどの題材が詠まれています。
今話題の生成系AI(おもにChatGPT、Midjourney)を使って、古来より伝わる叡智と現代のテクノロジーを学びながら万葉集の一節を紹介しています。
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