十三人の刺客

十三人の刺客(2014年:日本)
監督:三池崇史
配給:東宝
出演:役所広司
  :松方弘樹
  :山田孝之
  :伊勢谷友介
  :稲垣吾郎
 
バイオレンス時代劇の名作を現在のバイオレンスの巨匠、三池崇史がリメイクした作品。折り目正しい日本人像をぶち壊す、13人対300人の血と泥にまみれた大立廻りにカタルシスを感じる。
江戸幕府将軍の弟に当たる明石藩藩主は暴虐の限りを尽くし、それを諫めようとした家老は幕府老中の屋敷前で切腹した。将軍の意向で明石藩主はお咎めなしに済まされたが、現老中は明石藩主が翌年に老中への昇進が内定していることを知る。暴虐の藩主の老中就任を阻止するため現老中は目付の主人公に明石藩主の暗殺を命じる。暗殺の決行に向け13人の刺客たちが集められる。
これぞ時代劇。和装の立ち振る舞いから言葉まわし、風俗・習俗の再現と非常によく練られている。それぞれ俳優にも所作の指導があったと見え、誰一人現代的な動きで違和感のあるキャストがいない。結婚した設定の女性キャストに至ってはお歯黒を塗って、眉を剃っているほどのこだわりよう。久しぶりに見るとビックリしたが。戦闘の際の鉢巻も額を守る物でなく、耳をたたんで切られないように結ばれているところに芸の細かさを感じる。最近の時代劇でここまでしたのは見たことがない。
そして後半ほとんどの尺を使った大立廻りは、久しく邦画ではなかった大戦闘シーン。宿場町一つを買い上げて、大掛かりな罠を仕掛けて要塞化し、明石藩の行列を待ち構える。そこにはただ敵を殺すためだけ、いやただ一人の暴君を殺すためにすべての侍を抹殺するために手段を択ばず殺し合う戦いが繰り広げられる。大きな壁を使って行列を分断し、高所から矢を射かけ、回避しようと建物の中に逃げ込もうとすると建物が爆破される。白兵戦ではそれぞれが刀と槍などで切り結び、飛び散る鮮血と泥がキレイごとでない戦いをひしひしと感じさせて、文字通り血沸き肉躍る展開を見せた。13人それぞれに立廻りの見せ場もあり、若い俳優でも殺陣をしっかりと身に付けて撮影されていると感じた。
役所広司演じる主役の目付役は必ずしも強くはないが、決して負けないと敵のかつて同門だった側近に評されるように、強さを誇示するでもなく、弱さを見せるわけでもない落ち着いたリーダー像を演じている。本当に頼りになるのはこういう意思が強く落ち着いたリーダーだと思う。やはり今の邦画を代表する俳優。
その目付に襲撃される暴君藩主を稲垣吾郎とその側近の目付と同門だった剣の達人を市川正親が演じる。暴君藩主は近年見ることができなくなったほどの暴虐の限りを尽くすが、稲垣吾郎は表情を動かさず、狂気すら通り越し、生きることが退屈でしかたない雰囲気を出している。しかし襲撃されたとき、自分の命が狙われているのに、嬉々として襲撃を受けている姿には背筋が寒くなった。そして側近の市村正親は暴虐の藩主の行いを見ながらも耐え忍び、忠義を尽くす演技が悲痛。彼を見ていると武士の本分とは何なのか、考えさせられてしまった。
ひと際輝くのが、刺客側の参謀的役割の松方弘樹。特に佇まいが見事で、画面の端にいるだけでも画が締まって見えるほどの存在感。落ち着いたよく通る声で状況を説き、カカと笑う表情には愛嬌が詰まっている。しかしいざ立廻りになると流れるような鮮やかな太刀筋で鬼神のような強さを見せ、他の出演者との貫禄の違いを見せつけていた。先日亡くなったが、邦画界にとっては大きな喪失だったなと痛感させられる。オレのどこをどういじくったらこんなカッコいい中高年になれますか?。
十三人それぞれも個性的。剣術の達人役、伊原剛志は長身で力強く、槍の達人役、古田新太は独特の個性を醸し出している。宿場を丸ごと買い取った武士役の沢村一樹も重要な存在感を出していた。若い俳優より年配の俳優の方が存在感を主張していたのが流石。その中で山の民役の伊勢谷友介が頑張っていたが、その後の素行を考えて見ると悲しくなる。いい演技するので復帰はしてほしいが、それでは筋が通らんしなぁ。
久しぶりの大好きな時代劇視聴で嬉しくはあったが、所々引っかかる演出はある。もっと十三人それぞれの紹介から個性付けまでしっかり見せてくれればよいのにと思うし、大立廻り前夜盛り上がり期待しているのにギャグシーンのつなぎが悪かったり。あと、目付の甥と恋仲の芸妓と山の民が好きだった頭の女の役で吹石一恵を使ったのはいまいち。吹石一恵には芸妓さん姿が似合わない。たぶん監督の趣味。
それでも正義も道理も吹っ飛ばす、血しぶき泥まみれ、爆破に大火事に大量殺戮を展開させる時代劇は気分がスカッとする。ラストがどんなシーンでもすべてが終わった達成感があり、この気分はマラソンや山登りに似ていると思う。
 
余談。作中では暴虐の藩主とされている、明石藩藩主の松平成韶(なりつぐ)だが、暴虐だったという当時の記録はない。その養子だった松平成宣の時代に参勤交代中異母兄の領地だった尾張藩内でトラブルを起こしたという伝承に似た話が伝わっているが、それも真実ではなさそう。おそらくは明石藩が8万石だったのに対し、御三家(尾張藩)へあいさつに訪問する際、10万石でなければ正門から入らせてもらえないということに端を発したいきさつが、面白おかしく世間に広まり、暴虐の藩主という酷評につながったのではないかと思われる。本人の名誉のため紹介。

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