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愚痴を言うってどういうこと?

愚痴を言ったり聞いたりするのがあんまり得意じゃないのですが、そもそも愚痴ってなんなんだろう・・・? と思ったので書いてみる。

まずは、「嫌なこと、納得できないこと、悲しいことが起きて、それを表現したいのにそのとき状況が許さなくて、時間が経ってから心が許せる人に不満を言う」ということがあるのかな、と。

だからシンプルには、「~~なことがあって、~~という気持ちだったんだよ、、、」みたいになるはず。

これがなんでかひねくれて、この自分の気持ちに善悪ジャッジをつけてっちゃう。大抵、口に出すに至るのは、自分が善の場合だから、「~~なことがあったんだよー、ひどくない?」「あいつおかしいんだよー!」みたいな感じになっちゃうのじゃないかなぁ。

ちなみに自分が悪だと判断した場合は、口に出さないけど心の中で「やっぱり自分はダメだなぁ・・・」みたいな感じになっちゃうんだろうな。笑

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先日、NVC(非暴力コミュニケーション)の研修を受ける機会があってとても合点がいったのだけど、人の社会は生きていくうえで善悪ジャッジが重要なのですよね。だから、教育の過程で善悪ジャッジが刷り込まれるし、大人になるほど、社会人になるほど、自然に善悪を判断していく。

ただ、やっぱり日常の場面では、この無意識の判断が幸せでない方向にいっていることもたくさんあるんだろうなぁ、というのは、実感として思う。この愚痴の件とか。

わたしが愚痴を聞くときに一番苦手なのは、言っている人が善悪ジャッジに依存しすぎて、愚痴の根っこにある自分の欲求に無自覚なパターン。最悪な場合、「あいつは可哀そうなやつだ」とか言っちゃったりしちゃったり。。

結論、受け取る側の解決策がまだ分からないのだけど、とりあえずこういう構造なんじゃないかなぁ、と思った次第です。(受け取る側がつらいのは、それこそ善悪ジャッジに侵されているから、というような気もしている)

とりあえず、自分が発信するときは善悪ジャッジを入れないように気を付けよっ。

▽ 全人類必携スキル!?最近話題の非暴力コミュニケーション「NVC」とは。 http://www.co-media.jp/article/7792

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ギリギリ東北の山の中で、半自給自足、動物との暮らしを実現しようとしているフリーターです。日々の雑感や、田舎暮らしライフハック的なことも書けたらいいなぁと思っています。 現在のアカウントはこっち https://note.mu/itouciaki