【エッセイ】1998年、夏休み
あの頃、夏の朝は早かった。
母に起こされ、眠い目をこすりながら起き出す。
めざましテレビの占いに急かされながら着替えて慌てて家を出ると、蝉の声がみんみんとうるさい。
家から一分の公園にはすでに子どもたちが集まり始めていて、ラジオからは男性が元気にどこかの街の朝を伝えていた。
20年以上前のことだ。
当時はまだ暑さも今よりきつくなかった。
一日中外にいてもまだ遊び足りなかった。
夏は私たち子どもの味方だった。
同級生のゆうちゃんとりかちゃんと、昨日見たテレビの話をする。
電波少年はみんな見ていて盛り上がった。
町内の小学生がみんな集合したあたりで、ラジオ体操の始まりだ。
毛糸を通して首にかけたカードが揺れる。
身体を伸ばすのが気持ちよくて、身体が目覚めていく感じがする。
筋肉アピールみたいなポーズだけは恥ずかしくて、つい動きを控えめにしてしまう。
町内会のおじさんにハンコをもらうと、ここからは遊びの時間だ。
6年生たちが集まって今日の遊びを決める。
私が好きなのは高鬼だった。
高いところにいない人を目がけて鬼が追いかけてくる。
それをかいくぐって、牢屋に捕まっている仲間を助けにいくのだ。
年齢も性別も関係なく、私たちはおおいに遊んだ。
8時になるのはあっという間だ。
いつの間にかだいぶ日も高くなっている。
名残惜しく、バイバイと手を振って家に帰る。
家に帰ったら朝ご飯だ。
朝に白米を食べられなかった私の朝食は、だいたいパンだった。
ほうれん草も食べなさいと母が言う。
はあいと一口頬張って、急いで麦茶で流し込む。
今日は何をしようかなと考えながら。
山に登って遊んでもいいし、ばあばのところに行くのもいい。
ゆうちゃんに電話して遊びに誘おうか。
面倒だけど一緒に宿題をやるのもいい。
わくわくと一日の計画を立てるとき、テレビからは夏の決心が流れていた。
今、近隣の小学生がラジオ体操に集まるのは5日間だけだ。
遊ぶ公園などないし、多くの家に固定電話がないから自分で友達に電話もかけられない。
そもそも暑すぎて外に出られない。
時代は変わってしまった。
でも、今も夏が始まると私は夏の決心を口ずさむ。
三つ子の魂百までと言うが、小学生だった私の胸の高鳴りは今も私をわくわくさせてくれる。夏になると、きらきらしたまぶしい何かが私を待っている気がするのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?