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"本当に個性がある"画家はピカソではなくセザンヌかもしれない

所ジョージ氏がある雑誌内で「みんなと端から違うことが個性ではなくて、みんなと同じことをしていて、出てきた色合いの違いが個性」と言っていた。
僕はこれを、「最初から急激に変なことをしようとしたり、あえて枠からはみ出そうとするのではなく、みんなと同じことをしているのに、その人がやったとすぐに分かってしまうくらい滲み出てきてしまうもの、それが個性」だと受け取った。
そしてこの理論、ちょっとだけなるほどなと僕は思った。
そしてその理論でいくと、ピカソよりもセザンヌの方が実は個性があるのではないか?と思うようになった。

大抵の人はピカソの絵と聞くと、ちょっと崩した…いやかなり大袈裟に崩された絵を思い浮かべることが多いと思う。こんなような。

ポーラ美術館のピカソ展で撮影したもの。


そしてそれらの絵を人々はピカソらしい絵だと言う。
「個性がある絵」と聞いてピカソの絵を真っ先に思い浮かべる人も少なくないと思う。
そんな個性の代名詞、ピカソ。

しかしピカソは元からそういう画風の画家ではなかった。
10代の頃から写実的な絵を描き、そこからかなり試行錯誤して写実的な表現から抜け出して自分なりの表現を見つけようとしていった画家だ。
つまり、あえてはみ出そうはみ出そうとしたのがピカソだ。
一方で、近代絵画の父として知られるセザンヌ。
まずはセザンヌの絵を見て欲しい。

リンゴとオレンジのある静物
ペパーミント・ボトル
果物籠のある静物
サント・ヴィクトワール山 1887年



これらのセザンヌの絵、みんなが描くような題材で、なおかつピカソのように大袈裟に崩して描いているわけではないのに、ひと目でセザンヌの作品だと分かってしまう。
それくらいセザンヌが滲み出てしまっている。
セザンヌは元からさほど絵が上手かったわけではなく、この塗り方もあえてでも何でもなくどうやってもこの塗り方になってしまう人。
しかし、それを治そうともせず(そもそも治せなかったのかもしれないが)、このスタイルを貫いて描き続けたセザンヌ。
でも、もしかしたらこれが本物の個性なのかもしれない。

ピカソのような主張が強い絵の画家に比べると、ちょっと弱く感じるセザンヌ。
しかしその個性は、実はピカソよりも強いのかもしれない。

やったー