DAY194 瀬織津姫まつりにて。
今日は早池峯神社で開催されていた、瀬織津姫まつりに遊びに行ってきた。
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ほぼ毎年開催しているものの、その年によって浮かび上がってくるテーマが異なる。
昨年は、内側でくすぶっていた女の叫びを表に出すことがテーマで、今年は陰陽統合がテーマだな、と感じた。
内側にくすぶる怒りは、自分を守るために封印してきたもの。でもほんとうの意味で守るためには、怒りを表に出して叫ぶことなんだな、と思った昨年。
わたしはその後、人前で歌を歌うというチャレンジをして、その後、作詞もして持ち歌を作ってもらうということまでした。
インディアンドラムを叩きながら、肚から声を出す快感も覚え、人は叫ぶことができたら満足して安心するのだな、と思った。
男性性と女性性が共に際立ったら、あとは統合するフェーズが待っている。中庸とは真ん中に在ることだけれど、それは両極を知るからこそ得られるものだ。動かずに中庸は得られない。
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大迫の早池峯神社には、白龍社があるのだけれど、本殿を挟んで反対側には黒龍が棲んでいるのだという。
このアラワレは恐らく、この土地に元々あった強い男性性、それに匹敵するほどパワフルになった女性性を意味するのだろう。
白と黒、ふたつが手を取り合い回転する。それは陰陽統合の合図だ。
瀬織津姫奉納舞は、その喜びを表しているのだと解釈する。
早池峰岳神楽の持つ荒々しい勇壮さと、瀬織津姫奉納舞の持つ柔らかさ、力強さ、そして美しさ。
それはすべての人の中にどちらも存在していて、両方あるからこそ真ん中で居られる。
そして真ん中に在るからこそ、光を放つことができるのだろう。
尺度、というのは誰かと比べるためのものではない。強いのも弱いのも、美しいのも醜いのも、そのままを受け取れば済む話だ。
その中で自分と一致していれば、輝く。それだけのこと。
またここから、人生が動いていくような気がしている。まつり、そして祈りの持つパワーは計り知れない。
流れに身を任せるのはまだまだ怖いけど、流れに逆らうほうが、余程危ないのだ。意を決して、流れに飛び込んでしまおう。龍神さんは間違いなく、受け止めてくれる筈だから。
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