DAY212 夏至を前に。

明日の朝、夏至点を迎える。

夏至前最後の太陽。

YouTubeのスピ界隈では、この夏至が転換点になるぞ!ということをこぞって叫んでいて、でも自分自身、何をどう変えるのか?みたいなことは何ひとつ考えていない。

それでも『流れ』として捉えたとき、春分から夏至までの期間で離婚することを決めることができたし、彼への連絡を一切断つということも決めた。
いつの間にか、不安や不足ベースで生きていたことも自然と解消されていき、ここ最近は驚くほどにお金の流れも良くなりつつある。

ツインレイ統合というときに必ず出てくる、自立のワード。不足感ベースでアルバイトの面接に行ったけど見事に落ちたし、そういう意味じゃない!とハラ落ちした。
わたしが思っていた『自立』は、本質的なそれとは真逆だったのだ。

自分でなんでもやれるようになること、それが自立だとばかり思っていた。ひとりでも難なく生きられるように、仕事して一人暮らしして生計を立てていくこと。てっきりそれだと思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。

自分のやるべき仕事を全うしつつ、それ以外のことを他人に頼っていく。ひとりで何でもできることは、凄いことでも偉いことでもなく、ただつらくて孤独になるための道だ。

元々わたしは、ひとりで何でもできることを目指していた。他人なんてあてにならない。自分が頑張って何でもできるようになって、できない誰かを助けてあげられるようになりたい!そんなふうに思っていた。
どうやら、これをやめることが本質的な自立ということだったようなのだ。

誰かの好意(厚意)をありがたく受け取る。無理をするのではなくて、余裕がある、得意なこと、やってみたいこと、そんな意識で差し出される厚意だ。我慢して〈やってやろう〉とするのは、厚意ではなく、ただの〈行為〉だ。そういうときは、見返りを求めることになるし、喧嘩の火種にもなる。我慢は争いの始まりだ。

流れに身を任せることで、受け取れる豊かさがある気がする。自分なら簡単にできる、さもないことも、他の誰かにしてみれば重宝がられる、そんなことは逆も含めてたくさんある。
さもないことを惜しみなく差し出しあえたら豊かさが巡り巡って、しあわせが循環していくのだろう。ひとりひとりが自立した社会とは、恐らくこのことなんだと思う。

その点に於いて、どうやらだいぶ自立できてきている模様。まだもうちょっと我慢を手放す必要がありそうだけど、この夏至の転換点で変わる可能性がありそうな予感がする。

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