DAY139 愛とは、祈りとは。

4月5日から7日まで
スウェットロッジの
リトリート合宿に参加して

そこから
愛と祈りについて
思いを馳せていた。

Canvaに画像作成してもらった。

愛と祈り
このふたつを考えたとき、
答えは同じものである
というところに行き着く。

自分のために
呼吸をすることが
愛であるとするならば

細胞たちが
生命を維持するために
働くことは祈りだ。

細胞だけでなく
空気が、食べ物が、
まわりの生物が、鉱物が、人工物が

見えるもの見えないもの
すべてのスピリットたちが

イマココのわたしが
呼吸を繰り返せるようにと
祈りを捧げている。

そして、
わたしが生きていることさえも
誰かへの祈りになっている。

自分への愛だけじゃない
全体への愛であり、祈りだ。

そう思うと
わたしは自分のいのちを
ただ全うするためだけに
生きていていい、とも言えるし

周りのために祈りを捧げて
生きているとも言える。

とにかく
生きていること
それが既に
愛であり、祈りなのだろう。


その上で思う。

誰かのために強く祈るという
その強烈なエネルギー。

誰かをコントロール
しようとするのではなく

ただその人がその人でありますように
という強い願い。

あなたが、如何なるときも
あなた自身であり続けますように
という祈り。

どうかどうか、とひれ伏し、
自分の時間を他者に捧げるという行為。

これほどまでに深い愛が
人間の内側に備わっていることに
ただただ感動する。


でも、そもそも
愛と祈りを履き違えた状態から
誰かのために祈りを捧げることは
きっと不可能だ。

誰かの平和を祈ることは
まず自分が平和であることが前提だし

自分にとっての平和が
誰かにとっての平和と
イコールであるとは限らない。

自分自身の平和を保つこと自体が
誰かへの祈りに繋がるのだろうと思う。

その上での強い祈りはきっと
凄まじいエネルギーを放つのだろう。


2015年頃からずっと
本当の愛
についての探究を続けている。

本当の愛ってなんだろう?

その問いを立てたときには
まったく想像もしていなかった
シャーマニズムという入口に
今、立っている。


スウェットロッジという
ネイティブアメリカンの儀式を

花巻市大迫にある太陽舎で
21人という大所帯で!
2泊3日のリトリートと共に体験して

それは
浄化と生まれ変わりの儀式
だったのだけれど

そもそも集団行動や
集団生活が苦手なわたしが
そこに飛び込むことからして課題で

でも終えてみて
今感じているのは

素晴らしい仲間たちに出会えて
素晴らしい体験を共有できて
愛と祈りについて学んで
結論、わたしがわたしでいられた
という3日間だった。

主催してくださった
太陽舎の京子さんとニキさん
大阪から来てくださった
イーグルトライブの濱田さん

そして共に集まった仲間たち

ほんとうにほんとうに
ありがとう。

シャーマニズムの入口に立って
あとはドアをノックするばかりだ。

今年は大阪まで
シャーマニズムを学びに
行ってみようかと思っている。

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