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ChatGPTにエントリーシートを書かせてみた~キャリアコンサルタントとして考えたこと~

あちこちでAIの活用法について議論がなされている。
便利だからどんどん活用すべき。考える力を奪うから学生には使用法を考えねば、等々。

『就活にChatGPTで活用広がる 30秒でエントリーシート作成 タイパ良い』とうとうこんな記事がネットに流れた。
大学生の就職支援を行なっている者として、傍観者ではいられなくなった。先日、時間があったので、ChatGPTで自分の自己紹介書を書いてみた。

自分のプロフィールを具体的に入力すればするほど、なかなかな文章にしてくれる。
『学生時代に力を注いだこと(通称ガクチカ)』のエピソードは“着ぐるみの中の人”のアルバイトの奮闘物語でやってみた。(←これは実話、学生向けワークショップで使っていつも大うけしているネタ)
簡単に行なったことを入れただけでもまあまあな文章を即答してくる。これに着ぐるみの中で考えたことや、子どもに好かれる着ぐるみを目指すためにミッキーマウスの動きをパクった話を加えたら、お~ちょっと会ってみたいなと思わせる文章が出来上がった。
次に「総合商社の営業職を希望している」と追加入力すると、このアルバイトで得たものを貴社の営業活動でどのように活用するか?雇ってくれたらお役に立てますぜというような文章も追加してきた。
ヒントをちょいちょいと入力・指示するだけで文章を書いてくれる。こんな便利なものは、作文苦手、タイパ重視の学生たちは間違いなく飛びつくだろう。

そのうち、AIにある一定の市民権(?!)が与えられれば、就職情報会社がこぞって「AIを活用したエントリーシートの作り方」といったことを始めるだろうし、「就活塾」でも「簡単に書けるエントリーシートつくり講座」を開催して大儲けするのだろうと簡単に想像がつく。
こんなことで良いのだろうか?日本の将来が心配と苦言を呈するする私は昭和の遺物なのだろうね。
 
以前から求人サイトでは、サービスとして「自己分析コーナー」を開設している。いくつかの質問に、そう思うか思わないかを回答すれば、あなたの強みは〇〇で、△△に興味があるからこういう仕事に向く、というような回答が出てくる。
自力で自己分析をすることなく、こうしたサイトの回答を丸ごと信じて「自分の強みはコミュニケーション力で、興味関心はクリエイティブな仕事です。」と平気で言い切る学生が一定数存在するのだ。
実はこの自己分析も私は行なったことがある。性格については当たらずと言えど遠からずな回答が出た。しかし職業に対する興味関心については、その検査を行なった時の気持が反映されるので(←当たり前だけれど)浅いし現実離れした答えがでてきた。
どのように現実離れをしていたかと言うと、私の興味関心は海外と芸術、文学。向く仕事は、海外貿易、作家、クリエーター。笑っちゃうね。
この「テスト」を行なった時には、スペイン旅行の計画で浮き浮きしていたし、音楽・絵画・文学…いずれも儲からなくて腹の膨れぬことは、私の大好物。だからそう回答が出ただけのこと。
大人なら「腹の膨れぬこと」に向かってストレートに邁進するか?そのプロセスで得られたものをビジネスでどう転化させるか?など、いろいろな手を考えるわけだけれど人生経験の浅い若者にはそれは無理。
まさかと思われるかも知れないが、就活サイトの付録が言ったお告げを鵜呑みにして職業を選択し、本当ではない自分の強みを企業にアピールして迷走する学生が毎年出現してしまう。

おそらく来年あたりは、自己分析すら自分で行わない学生たちが、自己分析も書類作成もみんなAI任せにして就職活動を行なってゆくのだろう。そしてすでに面接もAIが行なっている企業があると聞いている。
AIが作った書類で応募して、AIから面接を受けるというコントのような事態が起きて来るのでは?

どこかの自治体でAIの活用を推進していて、児童虐待についても、当該児童を保護するか否か?の判定をAIで判断出来るようにしていたそうだ。虐待の疑いのある案件について、AIにお伺いを立てると「いまは保護の必要なし」との回答が出たので、手を打たなかったら、母親の虐待でその子は亡くなってしまったという悲しい事件があった。後から検証すれば、どう見たって母親の虐待が心配されるケースだったし、周囲からの通報もあったのに残念でならない。もちろんAIだけが悪者ではないことは承知している。
いくら優秀なAIであっても、はじめに入れるデータが的外れなものであったのなら、AIと言えど正確な判断は出来ない。ワタシの言いたいのはこれなのだ。

学生は、やはり自己分析については自身で行なうべきで、ここで手を抜いてAIを使ってしまうと(本当の自分ではないデータを入れると)、この先は自分ではない自分を生きることになってしまうのだ。そんなウソの自分は、選考の途中でメッキが剥がれるであろうし、万が一(企業側に見る目が無く)採用されたとしても、企業が期待した成果は上げられないかも知れないし。違う自分を演じるのは自分自身が辛いだけだ。
就職活動は、自分自身のプレゼンテーションではないかと私は考える。自分のどこをアピールするか?AIの力を借りるなとは言わないけれど、最終的には自分で考え判断するべきだ。自分の人生をAIに委ねて良いはずはない。

では企業はこの先どうすべきか? 
AIを駆使できるスキルがあるのなら、現代の仕事は出来るからそれで良い。今どき個々の社員の特性云々よりは、成果重視だという声も出てきそうだ。
たしかに彼らは今あるツールを小器用に使いこなすことは出来るだろうから、この先数年の成果は確保できるのかも知れない。しかし、将来に向けて新機軸を生み出すことは決して無い。使い捨ての人材で良ければ問題は無いが、企業の未来を考えるなら、小器用な人材ばかりでは心もとないのではないか。
AIも良いけれど、採用活動では、やはり生身の人間同士で、求職者のポテンシャルを発見し、お互いのビジョンを語り合い、会社と応募者の将来にとってこの採用が有効かどうかの見極めは必要なのではないだろうか?

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