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「聞き書き」で愛する

(写真は私に「たつけ」や「越前シャツ」を教えてくださったりさこさん。聞き書きも何度かさせてもらった大好きなおばあちゃんとのツーショットです。)

石徹白に通うようになってから、交流を深めてきた地元の人たちが何人もいます。その中の一人でとてもお世話になったのが「船戸鉄夫」さんです。

船戸さんは、昭和7年大阪生まれ。
紆余曲折を経て、石徹白で学校の先生を長年務められ、定年退職後に石徹白に居を構えます。(学校の先生だったから、みなさん誰もが船戸先生と呼んでいました。)そしてその後、公民館長として20年近く活動されました。(彼の「聞き書き」はオンラインショップで販売している「石徹白の人々II」に掲載されています)

船戸先生は写真が趣味でいらっしゃったので、石徹白の行事があると必ずカメラを首に下げて撮影に来られていました。自宅の立派なプリンターで印刷した大判小判の写真をいつもみんなに配っていらっしゃいました。私たちも移住前から、石徹白の行事に参加すると必ず船戸先生にお会いして色々お話をしていました。

あるとき、船戸先生が「石徹白の年寄りの話が面白いんや。それをテープで録音したのが残っとるんやけど、それがそのままで。こういうのをちゃんとまとめておかないといかん」とおっしゃいました。

そのテープは、「おとりこし」という石徹白で法事の時に準備するお料理について、大正後半〜昭和初期生まれのおばあちゃんたち4人ほどが楽しそうに話している内容でした。方言で理解できないところもあったけど、石徹白特有の食材や調理方法などを話されていました。思わずのめり込んで聞いてしまうような楽しげな雰囲気です。

私はカンボジアでフィールドワークをやっていた学生時代のことを思い出して、石徹白の人たちにも聞き書きをしたい!とすぐに思いました。きっと今しか聞けない話もたくさんあるし、石徹白のことをもっともっと知りたいと貪欲になっていたときでした。

ちょうどこの時期に船戸先生が公民館長を引退され、新たに土建屋さんの社長さんでもある石徹白秀也さんが館長さんになられました。船戸先生は秀也さんに、石徹白での聞き書きの重要性を語っていたので、私が聞き書きをやりたいことを伝えると快く受け入れてくれました。

こうして「石徹白聞き書きの会」が発足しました。

船戸先生の意志を引き継ぐ形で始まりました。この時に公民館の主事であり保育園の先生でもあった石徹白生まれ育ちの生粋の石徹白人、鴛谷智恵美さんも協力してくださいました。彼女の紹介で何人もの70代〜90代のお年寄りにお話を聞くことができました。

私のような外者にとって、こうして地元の方が活動に協力してくださるのが本当にありがたく、聞き書きの会の始まりが、まさに私が地域に入り込んで行った大きな契機となりました。

でも、私だけがお話を聞いても勿体無い!と思って、聞き書きのイベントを開催することにしました。地域外から人を募って、何人かのおじいさん・お婆さんをお願いして、それぞれが話を聞きに行くのです。大学生、民俗学に興味のある方、石徹白にゆかりのある方、石徹白好きで通っている友人たち・・・さまざまな人が聞き書きの会に参加してくれました。

イベントを行った時、講師として、高校生が全国のお年寄りにお話を聞きにいく「聞き書き甲子園」を始められた渋澤寿一さんをお呼びすることにしました。聞き書きについてのレクチャーと、そして実践を行い、聞き書き作品を完成させる1泊2日のイベントです。

聞き書きとは、お一人の方に話を聞いて、レコーダーから書き起こしをし、それを編集し、話し手さんに確認してもらって完成・・・なのですが、なかなかハードな内容です。1時間、2時間とお話を聞くと、書き起こす時間は膨大になります。1泊2日でも短いくらい。
四苦八苦しながらもそれぞれに一生懸命取り組み、とても良い会になりました。その記録は「石徹白の人々」という冊子として発行されています。

石徹白聞き書きの会は現在、任意団体として存在しますが、お恥ずかしいことに私自身が出産や子育てでなかなか動けず、細々と限られたメンバーでなんとか続いているくらいです。ただ、個人的に重ねてきた聞き書きもあるので、現在、3冊が発行され、4冊目の発行準備をしているところです。

この聞き書きの活動は私の石徹白での暮らしをとても豊かにしてくれていて、もはやライフワークとなっています。

ご高齢の方のお家にお邪魔して、ただ話を聞くだけということも多々ありますが、この方のお話をこのタイミングでまとめておかなければ・・・ということがあって、そういう時には作品に仕上げて、溜めています。

私はもともとお年寄りの話を聞くのが好きだった訳ではありません。むしろ最初は抵抗がありました。それは祖母との関係にありました。

私の同居していた祖母は、母が早くに亡くなり、明治生まれの祖母に育てられたためか、とても古めかしい人でした。
いわゆる古き良き日本人女性を育てよう、というような方向性で孫である私に色々と躾をしようとしていました。
「女の子は・・ではないといけない」と、耳にタコができるほど言われていたし、日本の伝統的な行事を大事にして家族で何かしら季節の催しを行う家庭環境でした。

ある意味、そういった古い習慣に辟易していた私は外の世界に飛び出したくて、高校の時にアメリカ留学したり、大学は関東の大学に行き国際関係を学ぼうとカンボジアに赴いていたという反動がありました。

そう、今思えば「反動」だった。しかしそうやって外に出たことで、改めて、日本のこと、故郷のことを知ろうというきっかけにもなって、岐阜に戻ってきたという経緯もあります。

祖母への反抗があり、外に出たのですが、外に出たカンボジアという土地で、そこで生まれ育ってそこの伝統織物をずっと続けているカンボジアのおばあちゃんの聞き書きをするということが私の大学の卒業制作となりました。

私の学生時代のテーマが「伝統的なものが、人のアイデンティティ形成にどう影響を与えるか」であり、まさに祖母の存在が私自身のアイデンティティに大きな影響を与えていたことがベースになったそのまんまの研究内容だったなぁと、ゼミで深掘りする中で明確になりました。(最初はそんなことまったく思わずにテーマを決めていたのが正直なところです)

そんなこんなで、私は今や、お年寄りの話を聞くことにとても興味を抱いています。

人というのは、一人で生きている訳ではなくて、誰かから生まれて、誰かに育んでもらっている。長い歴史の中の一つの連なった線の上にいて、ご先祖様なのか、その土地の先人たちなのか、たくさんの人たちの命の営みの中にいます。

それを実感することで命を大切にすること、生きている土地、地域、国、周りの自然、全てのことに感謝をすることができます。そういう心持ちで生きるということはとても心地よくて満たされていて、幸せだと、私は感じます。

誰かの話を真摯に、一対一で聞く、書かせてもらうということは、その人のことに興味を持つこと、つまり、愛着を深めることになります。そうすると、その人の周りの人、その人が生きてきた土地、地域、あらゆることに愛を感じるようになります。

私に聞き書きを教えて下さった渋澤寿一さんは
「聞き書きがある地域とそうではない地域では景色が変わる」とおっしゃっています。

2022年11月に聞き書きをテーマに渋澤さんとトークイベントを行った時の様子

それはなぜか。

聞き書きがあるということは、誰かがこの土地に住む誰かの話を愛情を持って聞いた証があるということ。それを次の人が順番に読んでいくことで、愛情が伝播していく。それによって、人の行動が変わるというのです。

例えば、石徹白の人は春になるととても美しい花を庭いっぱいに咲かせます。私は最初は、どうしてこんなにいろんな花を植えるんだろう、と不思議に思っていました。手入れも管理も大変なのに。
けれど、お隣のおばさまにお話を聞いていると、冬は真っ白で色がなくて、春になると色とりどりの花が見られるのがとても楽しみで、その楽しみのために冬の間から何を咲かせようか考えている というのです。

私は彼女の話を聞いて、私も花を植えたいと思いました。
彼女の心がすごくよくわかるし、春になって色とりどりの花が迎えてくれるのは楽しみになり、かつ、訪れる人にも喜んでもらえる。

こうやって花を咲かせる人が石徹白には多くて、庭先は季節ごとに咲く花でとても賑やかです。
石徹白全体が花で満たされているので、私も自分の家の周りを花で埋めたいと思う気持ちになる(実際は全然できていないのだけど・・・)

お隣のおばさまの話によって、私は動かされて、花を植える。それがもしかしたら広がっていって、集落がより一層華やぐ・・・。
そんな連鎖が起きるのが、聞き書きの一つのかたちかもしれません。

聞き書きとは、郷土史や歴史書の行間を埋める作業であると、渋澤さんはおっしゃいます。
事実、史実が記された文章の中には、現れてこない”人の感情”を引き出す作業。

地域のことは事実だけでは語ることができないということなのです。

例えば、石徹白には石積みがたくさん見られます。それらは誰かが石を積んだからできたのですが、ただただ積んだのではなかった。数年前に亡くなった100歳近くになる石工のおじいさんは、自分がいかに腕がいいかを威勢よく語っていました。この石をどう削ったらこうなったのか、とか、どう積んだら美しくなったのか、とか、創意工夫を重ねたからこそ、今の石積みがある。

彼の美意識は話を聞いてようやくわかるわけで、こうした心意気と甲斐性のある人たちの仕事の上に、地域の美しい石積みが残っているわけです。

今私が、石徹白に色とりどりの花を愛でる気持ちがあるのも、あらゆる石積みを愛おしく感じるのも、聞き書きをしたからです。実際にそれに関わってきた人たちの言葉を聞いたからです。

だから、私は石徹白での聞き書きを通じて、より一層石徹白が愛おしくなるし、誰かが編み上げた聞き書き作品に感銘を受け、その人とも話をしてみたいと関心が高まります。

少なくとも、聞き書きは、石徹白に住む私にとって、とても大切でなくてはならないものになっています。

それは、石徹白への愛情のきっかけになったことは去ることながら、石徹白洋品店の中心的な服となっている「たつけ」との出会いも、聞き書きが大きな役割を果たしているのです。


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