見出し画像

木の声が聴こえる【ニュージーランドの湖畔暮らし】

今日、仲良しの友人の自宅で、おしゃべりしていた時のこと。

その友人から、「世の中には自然の声を聞こえる人がいる」という嘘みたいな話を聞いた。友人は、最初はその話を疑ったものの、その声が聞こえるという彼と一緒に過ごしていると、自分も森や木からの「声」が聴こえてくるという。「それは、例えば、集まりの場にいくと、きっとこの人とこの人はカップルだろうな、とか、きっとここは仲が悪いだろうな、とか、この人たちは親子だろうな、とか言葉にせずともなんとなく関係性が分かってくるでしょう?そんなふうに、木のもつ感情や、人間性みたいな性格みたいなものを感じるの」と。

彼女が感じていることに嘘や偽りはない事は伝わってきた。森や木からセリフはないけれど、「確かなもの」を感じているようだった。「でもね、彼がいない別の場所で、木と話してみようとしても、それは叶わなかった」と。

またしても、突飛なことをいうようだけれど、私は、木の声が聞こえたことがたった一度だけある。

私は、その頃とくに畑に情熱を注いでいて、毎日欠かさず畑に出て、土を触って、剪定をしていて。畑仕事をしない時間、夜は関連の本を読み、頭の中はとにかく「畑」のこと。

すると、畑の真ん中に位置するさくらんぼの木の苔をむしり取って綺麗にしていた時にそれは起こったのだ。その苔をとる作業を終えて、木に背を向けた時。

「かゆかったよ〜〜」と。

体の中にその言葉は入ってきて、ふっとすり抜けていくような感じだった。
一瞬の出来事だったけれど、それは私の中に「確かなもの」として、聞こえたのだ。
突然で予想外で、思ってもみなかったこと。

なんだか拍子抜けした。そんなに痒かったのね、ごめんねって。でも、最初で最後の経験で、木から聞こえた声が、これ?って。よっぽどかゆみが切実だったってこと?なんかもっと他の言葉が欲しかったよ・・・と。

友人に「人に話すのは恥ずかしいし、共感もしてくれないだろうから、誰も話さずにいたら、そんな体験したことすっかり忘れてたよ」と言ったら「私はすっごい信じるよ!!!」と。「でも痒かったって、、、なんで(笑)」と爆笑したのでした。

また、木や畑から声が聞こる、そんな経験をできる日が来るんだろうか。
森が木が、自然が、心を開いてくれることがあるんだろうか。
それとも森や畑の心は常に開いていて、受け取る側のこちらの問題なんだろうか。畑作業をしていると、手をかければかけるほどに、芽が出て、花が咲いて、収穫物ができるのだということを感じたりする。一方的な片思いではなく両思いになれば、また声が聴こえる、そんな奇跡みたいなことが起こるんだろうか。いや、そもそも、そんな原因と結果のような因果関係なんてなく、ただただ「ポンっ」と起こったことだったんだろうか。あれは、なんだったんだろう、ということを、ぐるぐると頭の中で考えている。

また、森とお近づきになりたくなって、そんな日を夢見て、今日もこれから畑仕事をしようと思う。

レモンがたわわになっています。
畑の春菊。お鍋にたくさん入れたい😊
友人が迎えてくれた温かいお茶の時間