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料理が教えてくれたこと

結婚を機に環境から自動的に料理をすることになった私。幼少期にお料理が好きだったわけでもなく、はじめたばかりの頃は、キッチンが戦場になり、料理をしたあとは洗い物が山もりになる手際の悪さ。料理の作り方もはちゃめちゃで、お味噌汁の作り方も、味噌に醤油を入れていた謎のやり方をしていたし、素麺やうどんが小麦粉からできていることさえも知らなかったというスタートでした。笑

でも、今ではそれは180度ひっくり返って手と頭と使うこの時間がとても好きで。寝る前には、明日何食べようと考えながら眠りにつくのが日課になってしまうほど(ただの食いしん坊ともいえるけど。笑)

料理歴3年で、特別な料理を作れるわけでもないけれど、毎日こつこつ繰り返し続ける料理だから、たくさんの学びを得ることができました。

まず「コツを押さえる大切さ」
この大切さを知ったのは、ずいぶんと時間が経った頃のこと。型から入りたがる私はレシピ本を買い漁っていました。「料理が上手な人と下手な人の違いはなんだろう?」ということを考えながら、美味しいという曖昧なものに難しさを感じていた。

何かの本で「もし星付きのお店で出る料理が、プラスチックの保存容器に出てきたら、誰も美味しいとは感じないだろう」というようなことが書かれていた。またある人は「料理は、空気そのものを食べているんだよ」という。つまり、口に入れ舌にのる直接的な食べ物だけでなく、雰囲気や料理にまつわるエピソードなど、複雑に絡み合って味は完成するんだと。さらに分からなくなる、美味しさのこと…

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そんな中、「ポテトサラダを作るときは、じゃがいもを茹でるよりも「蒸す」とほくほくした感触になり美味しい。」というレシピに出会う。

ポテトサラダが大好きなので、早速試し、「これだ!」と思った。いろんなレシピを試してきたけれど、今までとは明らかにじゃがいもの様子が違って、確かな美味しさがあったのです。これが、「料理のコツだーー!」と一人嬉しくなり、その後も「コツ」を求めるように。

例えば、グラノーラを作るときは、オーツを混ぜる液体を温めること。はちみつやメープルシロップ、オイル(ココナッツかグレープシード)を低温で温めると、味も均一になるし、絡みやすいこと(野村友里さんのレシピ)。

あとは、さつまいもでチップスを作るときは、必ず塩茹でしてから油であげると中はホクホク、外はカリカリになって、味見が止まらなくなるほど。笑

すべては下ごしらえと、一手間の魔法だなあと思うし、作っている本人が「コツ」にたどり着いていることがまずポイントで、潔い味になるのだと思う。

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もう一つは、答えが無いということ。

料理には正解があるようで無い。東京にいた頃の私は、その日の献立を決めてから、食材を求めてスーパーに足を運んでいた。レシピの完コピを求めて。
でも、ニュージーランドの生活では、畑もあるし、スーパーへ足を運ぶのは多くても月に2回ほど。だから、自然と「今日は、この食材がある。じゃあ何を作ろう?」って考えるようになり、食材先行型になった。

サラダだって、その日の採れ高で組み合わせる野菜は違うし、お味噌汁の具だって、変わってくる。本来、何かを創作するときはいつだって自由なはず。お味噌汁の具に豆腐やわかめは必須じゃないんだ、のように、いろんなこれまでの常識と思っていたことが変化する。再現率が低くなったというか。

それにふと目をやると畑で取れた野菜たちは、同じトマトであったって、みんな別の形をしている。みんな違ってみんな良いという言葉が浮かぶ。この瞬間、ああ、愛しいなあと思う。

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ふと思ったことがある。

料理と同じように、前の私は、もしかしたら、型通りであることを知らない間に求めていたのかもしれない。本来はどう料理するか、どう生きるかは、答えがなくて。でも人は知らずのうちにレシピや型通りであることを求めてしまう。「同じ味」であふれる、コンビニ食やチェーン店、ファストフードの料理ばかり食べていたら、思考だって、行動だって、ワンパターンの「コンビニ的」になってしまうはず。

夫と話していたら、「守破離」だね、と。まずは、レシピに習い型を身につける。当たり前だけど、長年の試行錯誤を重ねたプロや料理家の方たち、長年本を作っているプロの編集者さんたちの本から学ぶことはそれはもうたくさん、たくさんある。そこから工夫して、自分の料理になっていく、それが家庭料理の醍醐味だし、いちばん尊いことなのだ。まさに答え無き「料理“道”」ー。

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そう考えるうちに、どんどん料理に制限がなくなり、楽しさも生まれる。料理は私に、「さて、あるもので何を作ろう?」というゼロから考える、新しい思考回路をも作ってくれた。と言いながら、まだまだ私は「守破離」の「守」の段階、レシピ本と食材を照らし合わせながら、頭と手を動かすのだけど。

本屋に行っては、自己啓発や「素敵になる方法」という本ばかり読んで、答えを求めていた自分が料理をして、生き方に正解はないこと、その都度自分で腹落ちしながら、自分を肯定していくことの大切さを知った気がする。

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性格的に、短期集中型で、目標を目指すやり方をしていた私は、息切れしてしまい、それでは疲れてしまうということにも気がついた。

料理という毎日3回あって、きっとこれから生きている限り繰り返すであろうこと。長い長い道のりを楽しくしていく方法(コツ)が少しわかったような気がする。こんなふうに、料理は生き方も教えてくれたのだ。