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百円たわわ

区役所に出陣しがてら、噂でしか知らないCoCo壱番屋でカレーを貪るそのついでに、百均ショップに詣でてきた。

この市に引っ越してきたのが、先月の二十一日。それ以来、寝こんでいた時期もあったため、まともに外に出たのはほんとうに久しぶりのことだった。
理想の中の私は引っ越して一週間もしたら自転車に乗り駅までの道を探検するはずだったのに、現実は一ヶ月ちかくが経ってもタクシーを利用するていたらく。
そんなものだ、と笑って諦めなければやっていけないし、そうする余裕ができてきたぶん、回復したも同然だと、都合よく思うことにしておく。



区役所は相も変わらず煩雑の一語に尽き、ココイチは押し寄せる感動の波そのものであった。今後は区役所へ出頭するたびにココイチに寄って自分を甘やかそうと誓うほどに。

しかし百均は、あれはいけない。

引っ越してからお風呂のすばらしさに感涙したり、集合住宅の温暖化で溶けそうになったりと、主に近代化の恩恵を実感することが多くあった。特にお風呂については、みんながあれほど「ストレス解消にはお風呂がいちばん」と言うのも道理と、ただひたすらに賛同するほかない。

でも百均ショップは、あれは実にいけないものだ。

これまで百均に行ったことがないわけではない。
ただ、長いこと、私が住んでいた地域は百均に行くまでに往復で三百円はかかるところばかりだった。
友人とモールなどで買いものをするついでに「百均に行って良い?」と聞かれて同行することはあったものの、そういうきっかけがなければまず百均に行く発想そのものが、私にはなかった。だからひとりで映画を観た帰りに百均ショップが目に入っても、ほぼ十割がた素どおりしてきた。
それで正解だったのだ。

百均は、百均ショップというものは、いけない存在だし、行くべき場所でもない。

エコバッグの底が破れるんじゃないかとハラハラしながら、午後一時のチャイムが鳴り渡る中、私はそう確信していた。



昨晩、区役所の周辺で済ませるべき用事を指おり数えているあいだに、ふっと、そういえばすぐ近くに百均があるらしいと思い出してしまったのが運の尽き。
引っ越しの片づけも終盤になり、いくつか足りないものや、予備としてあった方が良さそうな消耗品やらが把握できてきた。
たいていはアマゾンか、ヨドバシドットコムなどの通販で済ませるのだけれど、久しぶりの外出だ。スケジュール上、ちょっと時間があいてしまうこともあって、じゃあ百均に行ってみようかな、なんて軽率にも考えてしまった就寝前の自分を今からでも阻止できるものならどんなにか良いことだろう。

百均というと有名どころでは、ダイソー、セリア、それぐらいしか浮かばないが、だいたいそのへんだろうと思う。百円ではないけど3コインズとか、フライングタイガーコペンハーゲンも「均一」のくくりだろうか。
私が今日、運命の導きによって足を踏み入れてしまったのは、キャンドゥである。
はじめはキャンドゥとキャンメイクが頭の中でごっちゃになってしまっていたが、もう忘れない。間違えない。キャンドゥめ。この悪しき輩め。
ところで私はマンガ家の高河ゆんの三十年来のファンだが、名作「アーシアン」の番外編で紡がれるこのセリフがとても強く印象に残っている。

「でもどうしてかしら。悪魔の言うことって、正しく聞こえるの」

その番外編のタイトルは、「秘密の花園」だ。
いわゆるメフィストフェレスの魅力というものの中核には、人間だれしもが抱える弱さへの曇りない理解があるのだろう。
だからこそ誘惑はいつだって甘く、そして美しく響くのだ。



とりあえず、ルームソックスがほしいなと思っていた。
何足か持っているそれはほとんどが雑誌の付録で、もうずいぶん古びている。室内を歩いているとゆるんで脱げてしまうこともあるくらいに。
おととしだかに、それこそ友人の希望でセリアに寄ったとき、ルームソックスを三足、購入していた。それも今回の引っ越しの片づけ中にほぼ履きつぶしてしまった。

キャンドゥのフロアに入るまえの印象は「意外と広いな」というもので、こんな中ですぐにルームソックスなんて見つかるのかなとちょっと案じた。
が、それは杞憂に過ぎなかった。
冬のグッズゆえ、入り口のすぐそばにもこもこのルームソックスがぶらさがっていた。数種類。数秒だけ迷ったのち二足を手にして、振り返ったとたん、毛糸が我が視界へと飛びこんできた。
引っ越しの際に、ほとんどを捨ててしまった毛糸。
そういえばシュシュもほしいなあ、髪ゴムがあればすぐに作れるな。とか思ってしまった午前中の自分を坊主頭にしてやりたい。
毛糸を色違いで二玉だけ選び、輪ゴムを求めて移動した先のヘアグッズコーナーで見つけたのは、推しの色のヘアクリップだった。

気づいたときにはカゴを手にしていた。

百均はいけない。
推しの色が百円で見つかってしまうから。
それを無視するなんて芸当、できっこないのだから。

もちろん、ちゃんと生活用品も探した。ルームソックス以外の、本来の目的である。
そして今回の引っ越しの効用として、ちょっと面白くてもただ置くだけの雑貨類はいらないというか、なくすと探しまわって疲れてしまうことになるのが嫌だからと、目の保養だけにしておいた。

だから私だって決して誘惑に負けっぱなしというわけでもない。

ネイル?いやまあ、ほら、私も女なので。一応。外で仕事をしていたらあまりできないことだし。百円だし。
ピアス?うんまあ、その、たまに着けないとピアスホールがふさがるし。厳選して捨てずに持ってきたものを普段づかいしてなくすと悲しいし。これけっこう凝ってるのが四つセットだし。百円だし。
シュシュ?ああええと、そうね作るつもりだったけど失敗するかもしれないでしょ。毛糸のシュシュっていってもあと半月もすれば春めいてくるし。ていうか推しの色だし。そうね、二つぐらいあっても良いんじゃないかしら。百円だし。

百円(税別)。

百円に笑う者は百円に泣く。
百円だしと軽視する者は塵も積もれば何とやら。

強く断りを入れておくが、もちろん生活用品も抜かりなくカゴに入れた。言うまでもない。
台所のスポンジホルダーとか、防虫剤とか、ベランダ用のサンダルとか、乾電池とか、マッチとか、推しの色のコロコロとか(既に三つあるけれど猫を飼っているとコロコロはいくつあっても良いというか随所に置いておくと便利だし、百円だし)、推しの色のイヤホンとか(いま使っているイヤホンはもう八年選手。まだ使えるけど、まあ、予備になるし、汎用性があるし、百円だし)、推しの色の目覚まし時計を見つけときは色味と形が微妙に推しっぽくなかったので百円だけどやめておいた。
まじめな話、他には除菌ウェットティッシュ(このご時世にあまり大声で言えないが家にいるのにそんなに神経質にならんでもとうそぶきつつ柄がかわいかった)、マスクケース(このご時世にうかつなことは書けないがハンカチにでも包めば済む話だと蔑んだ直後に何とティッシュも収納できる優れものと知った上に柄が好みだった)、お茶パックと、それに入れるためのほうじ茶と、ついでにアップルティーと、そうくればお茶うけにブラックサンダー柿の種味(四つで百円)こそ心ある者ならば挑戦すべきであろう。

レジで唖然とし、エコバッグに詰めているときは呆然としていた。
同時に確かに爽快であったことも、ここに潔く告白しておこう。

なぜか探しても発見できなかったのは黒いゴミ袋(ミニサイズ。サニタリーに使いたかった)と、クリアポーチ(病院の患者さんが受け付けでよく取り出しているあれ)。
でもまあ、どっちも普通の袋に入れておけば良いんじゃない?猫さんのトイレ用に8号サイズのビニール袋を常備してるし、それで充分。
そう。それで充分。
買ったら、百円、かかるし。



百均は、あれはいけない。誠に、よろしくない。

最近、かわかみじゅんこの「パリパリ伝説」をちょこちょこ読み返しているが、パリ在住の著者が帰国するたびに百均で散財するエピソードがくりかえし語られる。
渡仏から程ない一巻のころは「ものを買うのにためらいがある」と言っていたのに、いつの間にかパリでも日本の百均でも買いまくるようになっていた。パリの、特にセールの時期や骨董市などではそれもわかるが、いったい百均で何をそんなに、と不思議に思っていた。
今はよくわかる。気がする。
特に著者はふだん日本のものが手に入らない環境にいるのだから、尚さらだろう。
そして百円という低価格からは想像もつかない性能や工夫、デザイン性に、パリとの違いを見いだし、買いだめもしてしまうのだろう。
たとえジャパンメイドでなくても。永くパリにいればいるほど、生産国なんて気にならなくなるのだろう。百円だし。
わかる。わかると、思う。

「石けんと教育は数回ではたいした効果を感じないが、数年に渡る累積のさまは恐るべきものだ」といったようなことばを遺したのは、皮肉が効いた名言でも有名なマーク・トウェインだ。
わかる。とてもよくわかると大声で肯定したい。
そして「石けん」を「百均」に、「数年」を「数時間」に差し替えたい。
そういえば石けんも買った。私は身体も顔も手もとにかく全身を牛乳石けんで洗うので、これは何の問題ない。赤バージョンの単品ってなかなか見ないし。百円だし。
ダヴのボディクリームは、そうね、ええと、乾燥しているからね。引っ越してのんびりお湯につかるようになったせいか入浴後は特に肌がかゆくなたったりするしね。ニベア缶やハンドクリームは持っているけれども、キャンドゥでダヴのクリームを見つけたら買っておけと昨夜ネットで読んだしね。百円だしね。

もう言い訳はしない。
私は今日、百均ショップ、キャンドゥに行きました。
とても楽しかったです。
でも、なるべく行かないようにしたいと思います。
おわり。



ところでたまに「百円均一」を「きんいち」と発音している人がいるけれども、はたしてこれは誤読なのだろうか。
辞書を引いてみたところ、「きんいつ、きんいちとも」とあった。
不正解ではないが、「きんいつ」のほうが一般的な感覚がある。とはいえ、「百均ショップ」を「ひゃくえんきんいちショップ」と略さず口にする人も、あまりいない。
まれに出会ったところであえて指摘せずにいる方が賢明だろう。
そう理性的に判断する私は、だからこそもうひゃくえんきんいつショップに近づかないよう肝に銘じるし、ひゃくえんきんいつショップの話題にもそっと耳を閉じるこころがまえでいる。

毛糸シーズンが終わったらレース糸を探しに行こうなんて思わない。
キャンドゥって病院のそばにもあるんだよねなんていう記憶は脳内から綺麗さっぱり抹消する。
抹消といえば消しゴムを買い忘れたけど、黙ってロフトで定番化中の定番、MONOを買えば良い。確かあれも百円だし。
ロフトで消しゴムを一つだけ買うのはなんだか居ごこちが悪いからつい付箋とか買っちゃうんだよねという悪癖は駆逐すべきである。

百円貧乏に、私は決してならない。
ならないったら、ならない。

百均で十個ぐらい買うとココイチの一食ぶん、と換算することを私は私に提唱する。
その逆をしてはいけない。絶対にいけない。
百均は、あれは、どうしようもなくいけないワンダーランドだ。




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