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年の始まりに、すこし立ち止まって

年末年始すこし立ち止まってみた。

12月に入って、財布と携帯を無くすことがあまりにも多くてこれは自分のキャパをオーバーしているかもしれないと思ったからだ。
始めていきたい仕事。
家づくり。
登記関係のこと。
子どもとの暮らし。
すべてがやってみたことないことで、とにかくがんばってみようという気持ちで動いていた。

注意欠陥(ADD)要素のあるわたしは、昔からやらかしてしまうことが多い。
定期券を無くす。
財布を無くす。
ペットボトルを閉め忘れる。
などもうあらゆる不注意が多くて子どものころから困っていた。
年を重ねるにつれてなくなるということはないけれど、気をつけようと意識することによって、やらかし回数が減ってきたようにおもう。

が、しかし。

年末に向けてあまりにも自分の不注意が続いて。
今年に入ってすこし立ち止まってみた。

はじめたばかりお香のお仕事。
自分たちでつくる家づくり。

ストップしたのはそのふたつ。
3歳半すぎた子どもとの暮らしはどんなことがあっても続いていく。
だからこそ、やることを絞って自分が落ち着くのを待ってみることにした。

我が家の息子は、自分の意見がとてもはっきりしている人だ。
癇癪になることもよくあって、わたしも一緒に泣いてしまうこともある。
年末はわたしと子どもでぶつかってばかりいたことも気になっていた。
自分のことで頭がいっぱいで、きっと子どもに意識がいってないのかもしれない。

ゆっくり関わってみよう。
そこから今年ははじめてみたい。
ことばにするのなら、そう感じていたように思う。

ここ1週間ほど、子どものリズムに合わせてすごして、思考で考えない時間を持ってみて、ようやくすっきりと落ち着いた気持ち。
子どももたのしそうになって、癇癪やぶつかることがグッと減った。
わかりやすいほど素直にでる結果に、まずは自分がゆったりといることの大切さを知る。

同時に「今」に意識が向くようになってきた。
頭のなかがごちゃっとしていない。
そうするとほんとに財布も、携帯もなくならない。
わかりやすいほどに落ち着いてきた。

自分をみていて、不器用な人だなあと思う。
そして、器用な人に憧れることも多々あったけど。
それもわたしなのだ。
ずっと付き合っていた自分だから、この個性の光も闇も映っている。

2022のまとめというには遅いかもしれないが今年はここからはじめていこう。今そんな気持ちでいる。

立ち止まるというよりは、道の脇のベンチに腰掛けるような時間。
それもまたよいみたです。

今年もよろしくお願いします。