結果ではなくプロセスが大切
久しぶりのnoteとなりました。文章はずっとメルマガで書いているのですが(毎週金曜定期配信してます)、たまにはこちらを更新します。
目覚めのプロセスがある程度ひと段落した感覚があった、というのを最近メルマガで書きました。
それにあたり未消化だったことが私の中で癒やされている感覚があります。
例えば最近結果よりプロセスが大切、という言葉が最近とても気になっていたのですが、それがとても深まっている感覚があります。
今まで過程が大切、というのは言葉としては理解できていたけれど、本音の部分では
やっぱり結果でしょう
と思っていた自分がいました。それはすごく当たり前の価値観のように感じていたし、それでしか生きてこなかった私にとって、プロセスが大切と言われてもなかなかスッと入ってきませんでした。
これは世の中の価値観にさらされていたのもベースにありますが、さらに幼少期に過程を褒められなかった(あまりいい反応を得られなかった)というのがあります。
学校で自分の考えを述べてみたら、トンチンカンなこと考えてる、みたいな目で見られた。
答えと結びつかないからその考えはおかしい
まったく共感されない
テストでいい点数取った方がいい反応をもらえた
そんな経験が痛みとなって自分の中に残っていました。
私は何か自分の考えを言っても共感されることがあまりなかった、という記憶があります。それに対してほかの子が考えを述べると共感してもらえる、ほぉ〜っとみんなが感心したような顔をする、でも自分にはそれができない、そこが悔しかった、悲しかった、そんな思いがありました。
だから結果を出すことに躍起になりました。勉強はやれば結果がでるので苦労はしませんでしたが、考えを共有するのは怖かったです。みんなのキョトンとした顔が怖かった。子どもながらに認められない、孤独=死を感じたのでしょう。
でも色々みてきて思うのは結果という中にその人という存在を感じることはない、ということ。
もちろん結果の中にプロセスも含まれます。でもプロセスにこそその人らしさが表れているのであり、結果は最後にポンとでてきたものでしかないのです。
何か結果が出たのも、それをやれた土壌がたまたまその人にあっただけで優劣でもなんでもない。
むしろプロセスの中に自分の人生があるのであり、そこが自分の人生だと感じるからこそ、生を感じ、誰かに共感するのです。
これは目覚め、悟りにも言えます。本で書いてあることはその人の結果であって、それ通りでなくていい。
でも私はそうは思えず、本が正解だと思っていたので目覚めという大切なプロセスを繋いでいる時はとても苦しさが多かった。それはやはり結果を求めすぎていたんだなと思います。
でも今は間違えていたとしても、本通りじゃなくてもその人の感じていること、やりたいと思ったこと、そう言ったことを全て含めたプロセスが大切であり、そこが自分の人生だったんだと感じます。
そして私はこれからただそこを大切に生きていこうと思ったし、クライアントさんに対してもそうでありたいなと感じています。
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