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普通じゃなきゃという無意識の思い込み

無意識の思考や感情に向き合っていると思っていても、我が子を通して自分がいかに無意識に「普通」というものに当てはめているのか、それを最近とても痛感させられています。


私は3人兄弟の末っ子という立場で生まれてきたのですが、末っ子体質だけあって、周りとの関係性が自分にとってとても大切に思っているところがあります。

というのも私自身周りの存在に助けられて生きてきたからです。

周りを参考にして、それで色々とできるようになって人生を歩んできた、そういう生き方をしていきたゆえに、周りとの差異がとても気になってしまうようなのです。


もちろん人として生きているのであれば、周りの目が多少なりとも気になるとは思うのですが、最近は周りと差異がないか確認しながら生きていることに再認識されています。それもかなり無意識に。

そしてそれを感じるたびに、私は我が子を見ているのではなく、我が子を通して自分自身の姿を見ているのだと、最近は本当にそればかり思っています。


例えば我が子の成長の遅れを見ると、

「普通はこうなのにどうして」

と無意識に比較して分析してしまっているのですが、結局我が子をそういった普通という尺度で見ているのは、私自身がそうやって生きているからこそそのようにしか見ることができないわけです。

実際に私は周りと自分を比較して、そして周りの人を分析して成長してきました。だから成長するにはどうしたらいいのか、どうしても比較してしまうのです。


そして私が普通であろう、常識的であろうとするのは、過去の傷がそうさせているのであり、悲しい思いをしたくないからだということも何となくわかっています。

綺麗事のように思えるかもしれませんが、成長が遅れていようと、どんな障がいがあろうと、その人自身には何も問題はありません。

ただ私たちがレッテルをつけているだけであって、さらに言えば自分自身がその人を通して自分を見ているだけであって、その人自身はただ存在して生きているだけなんです。


具体的には

「この世界で生きていくにはこうしなきゃいけない」
「そのままの自分ではいけない」

という考えを持っているから、問題が発生しているように見えるわけです。


なので私自身がやるべきことは、我が子の成長を見守りつつ、日々のことを粛々とこなす。そして自分自身の傷を見ていき癒していく、そしてその傷さえも自分自身のストーリーであったことに気づいていくことなのだと、最近はそんなことを思っています。

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