見出し画像

「勉強しなさい」なんて、聞かなくていい



夏休みの課題、夏期講習、この時期なにかと追われがちだよなあ、懐かしいなあと思って、
勉強についていつも思うことをつらつらと。



みんなはなんでその勉強をしていますか?

「勉強しろ」って親とか周りに言われませんか?


私は、勉強しかできなかったから、勉強してました。

勉強以外に誇れるもの、武器になるものが何もないのがコンプレックスでした。


ピアノも頑張ったけど中途半端なまま受験のためにやめちゃったし、
歌も親に「だめ、あんたは勉強しなさい」って言われて、あっけなく諦めたし。

美大や専門学校に行く友達を見て、すごいなあ、勉強以外に仕事になる武器があるっていいなあ、
って、尊敬の目で見てました。


勉強くらいしかできることがないから勉強して、単純だから成績が上がって楽しくなって、楽しいからまた勉強してただけ。

受験期とかはもはや無心で、楽しいとも楽しくないとも、なんのためだとかもまったく考えず、ごりごり勉強してました。


勉強できてすごいねなんて言われるけど、全然すごいと思ったことなくて、

ただ勉強しか能がなくて、それがなんとなく楽しかったからやってたっていう、ただそれだけのことでした。

それが高校まで。


逆に、今はまったく学校の勉強はしてません。単位に必要な分だけ。

毎日、大好きかつ仕事でもある、ライブ配信に関することしかやってません。

そうすると、「東大生なのに学問を大切にしてない」とか、「勉強を否定してる」とか、批判されたり勝手に失望されたりしますが、

そんなん言われる筋合いがなさすぎる。

私だって勉強して東大入ったわけだし、知らないことを知るのは好きだし、
学問がしたい人はすればいいし素晴らしいことだと思うけど、それを他人に押し付ける必要もないだろうし。

だから右から左に聞き流してます、いつも。



学校で教わる勉強、塾で教わる勉強、その内容そのものは、別に学校や塾じゃなくても身につけられます。

親に教わる、参考書、ネット授業、ググる、方法は色々ある。

方法は色々ある上に、全ての知識、能力が全員にとって必要なわけではありません。

私、積分とかめっちゃ練習したけど、結局使わないし。


たとえば受験勉強なんて、その中身は受験で合格するためだけのノウハウ的なものでしかなくて、

その中身ではなく、
自分の限界に挑戦するとか、合格して自信になるとか、周りの人への感謝が芽生えるとか、
そういう部分に意味があると思ってます。


学校の意味も、受験のそれと同じような感じで、
そこで習う内容じゃなくて、

集団に属するってことを知ることとか、そこでしか出会えない友達や先生とか、にあるんだろうと思います。


毎日、友達と彼氏に会うため、部活するために高校に通って、
授業中はわりと本読んだり塾の勉強したり、足りない睡眠補ったりしてました。

まあ先生に失礼っちゃ失礼で、申し訳ないとは思ったけど、
その授業に面白さや必要性を感じないことは確かで、自分の時間の使い方は自分で決めたかったので。



そもそも。ここまで勉強勉強言ってきたけど、

「勉強」って何?


学校や塾に行くこと、机にかじりついてやること、
英語とか数学とか教科名があるもの、「〇〇学」ってつくもの、
それだけが、勉強なの?


そんなことない。

誰でも、いつも、それぞれ必要な勉強をして生きているはずです。

高校大学行ってなくても、学生じゃなくても、おじいちゃんおばあちゃんでも。


数学も勉強だけど、
音楽もスポーツも勉強、
職人さんもタレントさんも勉強、
旅に行くのも料理をするのも勉強、
わたしはSHOWROOMだって勉強して強くなった。

「仕事にしたい」とか、そこまでいかなくても「知りたい」「上手くなりたい」って思ったら、なんだって勉強するよね?


でも、そういうのをやってると、
「そんなことばっかしてないで勉強しなさい」って言われる。

それって相手とか子供のことを考えて言ってるようで、まったく考えてない。


「得意」「好き」をつぶしてまで中途半端に「お勉強」できるより、

自分の得意を伸ばしたほうが、将来にもつながるはずです。


昔は言われたとおりに作業ができる、一様な人材が求められたかもしれない、けど、
今はもうそんな作業は機械がやってくれて、
人と違うこと、唯一であることのほうがよほど価値があると思うから。

昔は学歴こそ最強の安心保障だったかもしれないけど、
今は学歴なんてそんな強くないし、学歴なくても努力で成功してる人はたくさんいるし、
そもそも昔みたいに社会に安定なんてないだろうから。


「お勉強」以外にできることがあるって、私が勉強しかできなかった頃に友達を羨ましく思ってたように、すごく素敵なことだと思います。

人と違うことこそ、伸ばしたほうがいい。


興味無いし将来使わないだろうなって思いながら机で「お勉強」するくらいなら、
自分のやりたい「勉強」をやった方がはるかに有意義じゃないですか?

それは、ただなにを勉強するか、なにに努力値をふるかの違いでしかない。



「そんなのやめて勉強しなさい」っていう言葉が無くなってくれればいい、と切に願います。


なんで今勉強してるのか本気でわからない人、本当は他にやりたいことがあるけど犠牲にしてる人、そんなものなかったことにしてる人、

みんなそれぞれやりたいことを自由に勉強できる世の中になってほしいと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?