見出し画像

眠れない夜と、『カラマーゾフの兄弟』


考え事ばかりしていたり、
わけもなく目が冴えていたりして
眠れないことが
よくあります。

そんな日は
眠らなきゃ!と
焦ったりなんかしないで、
わたしは本を読みます。


詩集や、海外文庫を手に取ることが多いです。

顔も知らない人、
会えない過去の人の言葉に
救われる時があるから。



最近は
大好きな海外文庫と携われるお仕事を
少しだけ お手伝いすることになって、
また、いろんな海外作品を
意識的に読むようになりました。


昨夜、
私が1番好きな作品
"カラマーゾフの兄弟"を
読み返していました。
この本には好きな言葉がたくさん眠っています。



作品の中で、

"人間に対するキリスト的愛というのは、この地上にはあり得べからざる一種の奇跡。

彼は神だった。しかし、我々は神ではない。

仮に僕が深刻に苦悩することができるとしても、他人には僕の苦悩が、どの程度のものか、決して分からない。なぜなら、彼は他人であって、僕ではないからだ。"



という言葉が出てきます。
これは、無神論者の次男イワンと、修道僧の三男アリョーシャのやりとりの一節です。



物語に関係なく、

とてもフラットに
この言葉から私が考えたことを
綴らせてください。




初めてこの文字を見た時に
胸に刺さるものがありました。







ひとは、他人の表面だけを見て
人生の重みを測ることがあります。

でも、私たちの目に映っているのは
決して全てではありません。


皆それぞれに
不完全さを抱えている。
傷のない人生なんて 存在しないと思います。



ただ、

その不完全さを完璧に理解したいと願っても、

自分の全てを理解されたいと思っても

それは
現実的に、難しいことだったりします。




多感な時期だった頃の自分は、
理解し合うために必死に頑張ることが、果たして正解なのか、分かりませんでした。
裏切られ、傷つくくらいならば
最初から誰も信じない方が楽になれるんじゃないかと思ったこともあります。



それでも
大人になった私は、
誰かと分かり合いたいと願い、
怖いけれど
自分を曝け出し続ける人生を選びました。


これが正解だったのかは
わかりません。

まだまだ道の途中で
ようやく、スタート地点に立ったばかりだから。



私は、いつか
誰かの希望になれるのでしょうか。

誰かと
分かり合えるのでしょうか。

もしかしたら
誰にも振り向いてもらえないかもしれない。

だとしても
私は本音を、周囲に打ち明けたいです。

未来を信じるしかないのです。






本や言葉の楽しさは
捉え方がその人次第で自由である、
ということだと思います。


私が今作っている書籍もそうです。







皆さんの魂震える本や言葉は、
なんですか?

伊東楓

#カラマーゾフの兄弟
#海外文庫
#ドストエフスキー
#ロシア
#tbs
#tbsアナウンサー
#tbsラジオ
#伊東楓