見出し画像

不思議だ。

 
不思議だ。 
 
娘を産んでから、 
 
「これ、前は絶対照れてやれなかったよね」 

という行動を平気でこなしている。 
 
 
子どもが嫌いというわけではなかったし、むしろ好きだったのだけど、子どもと接するのがどうも苦手だった。
というか接し方がわからなかった。 
 
結婚当初に夫の実家へ行ったとき、義兄の息子に絵本を読んでと頼まれた義妹が、声のトーンを変えて優しい口調で物語を読み進める姿を見て、ただただ「すごいなぁ」と思った。
私には、絵本を読むことさえなんだか照れくさくて、「どうか私には頼んできませんように」と陰ながら祈っていた。 
 
それが今では、声を可能な限り自由自在に操り、「かわいいこえでよんで!」という娘のリクエストに応えて毎日絵本を読んでいる。
そこにはもはや照れなどない。不思議だ。 
 
 
歌だってそうだ。
ダンスだってそうだ。
 
 
娘はここ数日、Netflixの『ピンキッツダンスたいそう』にハマっている。
    
ポップな曲調にアレンジされた童謡に合わせて、ぼくたちと一緒に元気いっぱいダンスをしよう〜!!みたいなノリ。
終始ハイテンションな番組とは対照的に、娘は一切踊らず、映像と音だけを楽しんでいる。
 
私はといえば、気づいたら、一緒に踊って、歌いたくなっちゃってる。不思議だ。 
 
 
けれどもたいていの場合、うまくいかない。
 
というのも、私がテレビの前に立って、がちごちの振り付けと共に歌い始めると、
   


「うたわないで!」
 
と娘に一蹴され、
 

 
となって秒で終わってしまうのだ。
 
今日もそうだった。
 
この現象は、この番組に限ったことではない。
音楽が流れていないときは歌っても何も言われないのに、番組に合わせて歌いだすと、なぜか止められる。
 
あたかも「せっかくの原曲を台無しにしないで!」とでも言うかのように。 
 
ショック、ではある。
 
以前なら、「うたわないで!」なんて言われようものなら、精神を参らせて「もう決して歌いまい!」と立ち直れなかっただろうに。
 
なのに私は性懲りもなく、歌い、踊るのだ。 
 
たぶん、明日も。 
 
「うたわないで!」と言われて、すんってなっても、年甲斐もなく、歌い、踊るのだ。 
     
不思議だ。 
   

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?