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【あおもり紀行】第8話。十和田湖は気持ちいいなぁ。キャンプしたい!

十和田湖に着いた。
もう日が沈み、辺りが見えなくなってきていた。御鼻部山展望台さ急がねば。

十和田湖にはいくつかの展望台がある。今回はそれらを全部まわってみたいと思っていた。黒石方面からは十和田湖の北西、時計で言うと10時あたりの位置にある「滝の沢展望台」が近い。もう日が暮れたから滝の沢展望台で撮って終わりにしよう。

閉鎖されていた。
わいは!(津軽の人が驚いたときに出る言葉。ハワイではない。)
どすべ?(どうしようという意。「どうするべ」の省略形)

日が落ちた後の十和田湖

日が落ちた直後でも空はまだ明るく、湖は明るい空を反射するため、これはこれでおもしろい写真が撮れると思っていた。このまま今日の撮影を終わるのはもったいない。次に近い展望台はどこだべか?

検索。御鼻部山(おはなべやま)展望台がヒット。
十和田湖の北、時計で言うと12時の位置にある。
よし、完全に暗くなってしまう前にいくぞう。

ついた。
暗い。街灯はない。
寒い。雨も降ってきた。
誰もいない。熊はいそう。
夜の展望台、気味悪い。お化け出そう。

御鼻部山展望台。霧状の雨だから屋根はあっても意味がない。寒い。ビチョビチョ。

わぁは十和田湖が大好きなのだ。
十和田湖の何が好きなのかと聞かれたら困る。水がきれいだとかカルデラだとか、十和田湖ならではの要素は色々あるのだけれども特にこれということはない。

ただそこにある十和田湖。それがいい。
そして、その十和田湖にいる事が好きなんだな。

十和田湖からはものすごくいいエネルギーを感じる。いい気があふれているから、いるだけで気持ちがいい。
あぁ、ここでキャンプしたい!
十和田湖周辺にはいくつかキャンプ場があるから、今年の夏は十和田湖でキャンプしよう!

☆キラキラ十和田湖☆

しかし、最近のキャンプブームはすごいな。
特に夏になると東京周辺(埼玉、千葉、神奈川、静岡、山梨、群馬、栃木、茨城)のキャンプ場はどこも満員だ。コロナ禍になってからは、ますます人が増えている気がする。都会のアパートやマンションで自粛生活をしていたら、そりゃあ外に出たくもなる。当然だ。

おかげでキャンプ場が密。特に区画サイトは家よりも密。一度経験したがもう無理。隣のテントと並んで建てるのだから、隣の焚火の煙をモロに浴びる。だからと言って、フリー区画サイトに行くとテントを張る場所がない。密過ぎてしばらくキャンプに行けていない。困る。青森県内のキャンプ場はいいのだが、東京からでは距離が・・・。うまいこといきませんな。

わぁは、ボーイスカウトの指導者を20年やってきたので、それだけキャンプも経験してきた。基本的に水さえあればどこでもキャンプできるので、きれいに整備されたキャンプ場よりも、何もない野営場の方がいい。ただそんなキャンプをやると食事作りに時間がかかるから、生活するだけで終わってしまうが。

写真はイメージです

ちなみにうちで使っているテントは『COLEMAN アテナ トンネル2ルームハウス/LDX』。もう型落ちしているが、購入した時に出回っていたテントの中では一番大きいのを選んだ。https://item.rakuten.co.jp/sportsauthority/57174930/

わぁは、身体がでかいから家ではしょっちゅう頭をぶつけているし、日本は窮屈でしょうがない。テントの中で頭をかがめて中腰の姿勢でいるのが辛いから、大きいのにしたというわけだ。最近のテントはみんな背が高くなってきているが、ようやく時代がわぁに追いついてきた(笑)。

ちなみにアウトドアメーカーのスノーピーク、ロゴス、キャプテンスタッグ、ドッペルギャンガーは日本の会社なのはご存知?
コールマンはアメリカ。

モノづくりで有名な新潟県の燕三条(燕市と三条市)にスノーピークとキャプテンスタッグの本社がある。今は別会社になっているがキャプテンスタッグが、キッチン用品を作っているパール金属株式会社のブランドだったと知ったときは驚いた。鍋のイメージが強くて。

パール金属株式会社本社。2014年撮影

かつて、スノーピークの本社見学に訪れたことがある。営業日ならいつ見学に来てもいいというのだから実に太っ腹。今はコロナもあり見学は行っていないようだ。
5万坪の敷地にはキャンプ場が併設されていて、誰でも手ごろな値段でキャンプができる。スノーピーク以外のキャンプ用品を使っていると、スノーピーカーに後ろ指をさされそうだ(笑)
そのスノーピーク本社が敷地を15万坪に拡張して、スパやレストランが入る複合施設をこの春に開業するらしい。https://www.wwdjapan.com/articles/1234790

株式会社スノーピーク本社。2014年撮影

燕三条の金属加工業は江戸時代、農民の副業として和釘づくりを奨励したことから始まった。信濃川は氾濫が多く農業以外での生業が必要だったこと、また、鉱物資源や燃料の炭が豊富だったことから発達したという。今では「燕三条で作れない金物はない」とまで言われている。

前回、岩木川は氾濫が多いという記事を書いた。西目屋村に尾太鉱山があるし、もし江戸時代に弘前藩でも何か副業を推奨していたら、歴史は変わっていただろうか。

十和田湖畔

青森県にはどういうモノづくりの会社があるのか調べてみたら、こんなウェブサイトがあった。青森県にもガンバっているモノづくり企業があることが分かって頼もしくなった。

元気なモノづくり中小企業300社 東北版 県別検索 青森県https://www.tohoku.meti.go.jp/s_monozukuri/mono_300/kenbetsu/kenbetsu_ao.html

ただ、各企業のすごい技術を見ても、わぁにはよく分からないのが残念なところだ。


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