いとバイ通信 創刊号

いとバイ通信
№1  2020.4.27(月)

はじめに

今日から「いとバイ通信」をお届けします。ですからこれは「創刊号」です。掲載したい内容は私の中で現在あふれ出ようとするくらい湧き出しています。世界一の読み応えある個人通信を目指していきます。皆さまからの反応を楽しみにして書いていきたいと思います。どうぞこれからも読んでください。

今回は作者である私の自己紹介から

私は伊東弘68歳です。福岡生まれで高校まで福岡で育ち、その後薬品会社に就職し医者に自社の薬を案内する営業マンとなり東京勤務をしました。

体力や運動神経にとって大きな転機は中高時代の6年間下手の横好きで卓球に夢中になったことです。運動神経は良くなく小学4年の時にはボールが怖くてキャッチボールではグローブで直接玉をキャッチした覚えはありません。私が大人になった時母は私の運動神経のなさを見て心配していたと打ち明けました。運動が不得意だったおかげで浮気せずに6年間はただただ卓球に集中しました。多分人よりもたっぷり練習したせいか運動神経も小さい時に比べるとかなり良くなっていました。つまり苦手を克服できたような気分だったと思います。薬品会社に入って苦手感のある営業になろうと考えたのもこの卓球の経験があったためでしょう。


私の精神的な転機は医師重田英世(えいせい)先生との出会いです。私にとって営業は苦手で自分に合っていない仕事だったのでいつの間にかストレスとして体に現れ胃潰瘍になりました。営業の先輩から紹介を受けたのが世田谷区下北沢で開業医をされていた重田先生で患者として診てもらっていました。そんな時会社の研修会で重田先生が哲学者カールヤスパースの翻訳家ということを知りました。私が自然体で興味を持てるものは哲学でした。もし自分が好きな哲学をもっと追求していたら人生が大きく変わっていたのではないかと想像しています。私は中学の時からいつか哲学にかかわりを持つだろうという予感を感じていたのです。

重田先生は東大の哲学科を卒業したのち慈恵医大で医学を学ばれ医者になっていました。カールヤスパースの研究者だった先生は世界中から専門書を取り寄せて研究されていたのですがそれには大きなお金が必要だったため、医者になったのだと私に言われていました。ヤスパースは医学者から哲学者になった人でした。そのこともあって重田先生は医者になられたのではないかと私は理解しています。

その当時翻訳出版されたのが「歴史の起源と目標」というカールヤスパースの本でした。それで私も読むことにしたのです。この本を読んだ私の感想は学校の歴史の教科書がもしこの本だったらきっと歴史が大好きになったに違いないと思ったのでした。この本には原書の翻訳と一緒に「解説にかえて」という70頁にも及ぶ重田先生の文が載っていました。重田先生はこれを書くために診察をしながら1年以上徹夜で世界の歴史学者の原書を読んだことを私に話してくださいました。

ヤスパースの歴史観の特徴の一つは人類史の中で枢軸時代(紀元前800年~200年)という考え方を使って生きた歴史を眼前化させようとしたことでしょう。この枢軸時代をほかの歴史学者がどのように考えていたのかを研究したのがこの「解説にかえて」だったのです。「歴史の起源と目標」という本は人類史を単なる史実の羅列として表現するのではなく、人類の目標とは何かを探求する中で歴史の意味を深く考えたものでした。このヤスパースとの出会いは私の精神史の中で最も大きな影響を受けたと言えます。

創刊号の今日はここまでにします。

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