個人の断片のクリエイティブ。

佐伯ポインティさんが運営する「純猥談」が好きだ。夫婦との、恋人との、先輩や後輩との、あるいはセフレとの、ただ一度か二度かもう少しのあいだ交わされる性愛だけが抽出されたお話。どうしようもなく熱望して日常を飛び越えてしまった瞬間と、そのあとの壊れてしまってもう戻らない関係性の寂しさ。ありふれた誰かのエピソードが、「猥談」というフォーマットに嵌め込まれることにより、欲望と感情が細部まで描かれ個別化し、特別な物語となってわたしたちの前に立ち現れる。そういう誰かの秘密をのぞき見するたびに、心がゆさぶられるのだ。これはもはや、猥談と名づけられた文学である。

折しもアカデミー賞でアジア映画初の作品賞を獲ったポンジュノ監督は、「最も個人的なことが最もクリエイティブなこと」という言葉を紹介した。どこにでもある、ほんとうなら心の中にだけしまい込まれたままであるはずの、あるいは打ち捨てられたまま置き去りになっている誰かの物語こそが、何かの拍子にくっきりとした輪郭を帯びて、おどろくほどの強さでわたしたちの感情に訴えてくる。

いま、もぐら会では、2020年5月の文学フリマに出展することをめざして「もぐら本」の制作を進めている。紫原明子さんが主宰する「もぐら会」で毎月行われる「お話会」をテーマにした、大人の文集である。

くわしくはこちらも読んでみてほしいのだが、

お話会では時折とてもプライベートなことが語られます。普段その人が決して見せない悩みや不安、今まで言えなかった言葉や押し殺してきた自分が浮かび上がることがあります。それを聴くことは、その人の知らない一面、人生の一幕を覗きみてしまうような、どこか後ろめたさがあります。この本を読む人には、秘密を覗き見るような軽い罪悪感を共有してもらいたい。開けたら元には戻れないようなほんの小さな覚悟をもって袋とじを開けて、中の文章を読んでもらいたいと思っています。

もぐら本にはまさに、誰かの心にしまい込まれていた物語が一つひとつ、ていねいに綴られている。この宝物のような作品たちがどれもキラキラと輝いて見えるのは、わたしたち制作チームが内輪のひいき目で見ているせいなのかと何度も自問してきたが、わたしはポンジュノ監督の言葉を聞いて、やはりこの輝きは嘘ではないと確信した。誰にも言えない秘密の暴露本でもなければ、なんとか共感を得よう、受けようなどという作為のもとにつくられたストーリーでもない、ほんとうの個人の断片のクリエイティブを、もぐら本でなるべくたくさんのひとに味わってみてほしいと思う。

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