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猫になれる宿

「ここは猫になれますね」
縁側から外を眺めていたお客さんに言われたことがある。
彼女が座っていた古い籐のロッキングチェアは、足もとにオレンジの陽だまりができてじんわり暖かい。いかにも猫の好きそうな場所だった。

こんな時、「猫が好きそうな」とか「猫が居るような」などと言いそうなものだが、彼女は「猫になれる」という表現を選んだ。
私はこれに似た言葉を、ある暗闇で聞いたことがある。


大阪のど真ん中。たくさんの人が行き交う場所に、純度100%の暗闇を体験できる「対話のある家」というのがある。(いや、あった。先日10/31に8年におよぶ活動の末クローズしてしまったのだけど、、、)。
ダイアログインザダークという名前でピンとくる方も多いのではないだろうか。


最初にここを訪れたのは2017年。「面白い場所がある」と言う友人に連れられ、何も知らされないままにグランフロントへとやってきた私は、とても緊張していた。参加者は私と友人のほかに2名。
初めましての人がいる状況に人見知りを発動し、体験が始まるまでの十数分間、待合スペースの展示物をひたすらに眺めていた。

分厚い壁に囲まれた大きな部屋だった。アテンドによる丁寧な説明が終わると早速白杖が配られる。心の準備ができないままに、段々と暗くなっていく部屋の隅では、白杖を握り締めることしかできなかった。
照明が全て消え、ついに純度100%の暗闇へ。「視覚に頼れない」の意味を知った私は、あろうことかめちゃくちゃしゃべった。
暗闇に人見知りは存在しない。衝撃の新事実だった。

どんなに目を擦っても見開いても、黒い塊が張り付いて取れない。声を出さなければ、自分がいなくなってしまうような、そんな気さえした。ちょっとパニクってたのかもしれない。
だがそんな恐怖心はすぐになくなる。見えない世界で得られる耳や手からの情報があまりにも鮮明で、夢中になってしまったから。


日頃、色や形でなんとなく触り心地を想像している時がある。銀色のステンレスっぽいドアノブを見て「冷たそう」とか「硬そう」などと感じてしまうみたいに。
梅干しを見ると、唾液が止まらなくなるみたいに。(これはちょっと違うか。)

だが、見えないということはそうした先入観が一切なくなるということだ。そんな場所での「触れる」という感覚はいつもより鮮やかに、そしてダイレクトに脳へ飛び込んできた。
友人は「あれ、そんな声だったっけ」と、私の声に驚いていた様子だった。外見という先行イメージから切り離された声もまた、鮮やかに聞こえていたらしい。


――――――――


これは面白い。私はその後、親しい人を誘っては何度もこの場所へ足を運ぶこととなる。「この人を連れて行ったらどんなリアクションをするだろうか」「あの人はどんな気づきを話してくれるだろうか」。
そんな中、私の予想斜め上を行く感想を伝えてきた人物がいた。

体験の後半。真っ暗なお家の中でちゃぶ台を囲んで談笑する時間がある。「参加してみてどう?」という質問に、それぞれ感じたままを、順番に、伝え合う。その多くはやはり、私と同じように聴覚や触覚でみる世界の面白さについて語っていた。
そして私の右隣。「対話のある家」に誘った時、「しゃーなしな」と気怠げについて来てくれた彼の順番がきた。

開口一番「楽っすね」という言葉に、全員がキョトンとした。暗闇だけど頭の上にハテナが見えた。おいおい、声掛け合って手を取り合わなきゃ1メートルも進めなかったのに、何を今更強がってるんだよ。と思ったが、すぐにそれを声にしなくてよかったと思い直す。
「どんな体勢をしていても、誰にも見えないですもんね〜」そう続ける彼の言葉に、私は納得した。そういえばこの人は、人目を気にするタイプだった。



視覚で得られる情報は、色や形だけじゃない。相手がどんな格好をして、どんな体勢でいるのか。見えることが当たり前すぎて考えたこともなかった。メイクはしているのか。髪はセットしているのか。身だしなみは?こんなところであぐらなんかかいて。そんなことを思う。
彼にとってこの状況は「見えない」ではなく、「見られない」だったのだ。

縁側で日向ぼっこをしている猫に「見られる」という概念はないように思う。自分が今どうするのが一番心地よいのか。そこに忠実になった結果、段ボール箱にハマっている時もあれば、縁側で日向ぼっこしている時もあるというだけ。


この「楽っすね」と、「猫になれますね」という言葉。真っ暗な家の中と陽が差す縁側では環境があまりにも違う。
だが、私にとってはスピッツのチェリーと、そのアコースティックverように、聴こえ方が違うだけで、根っこの部分は同じように感じた。

実際、彼女がどういう意図で「猫になれる」という話を私にしたのかはわからない。ただ、彼女にとって、人目を気にせず自由気ままにくつろげる場所になれていたらいいなと思う。

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