小説を書く人は、結局、自分が書く小説にしか興味がなく、あるいは好きな作家にしか興味がない
名前のない書き手とその書き手の本が、世間でどのような扱いを受けることがあるか、翼猫さんと「この空気は、けっこうつらい」(https://note.mu/itoguchimasaka/n/n440ef5aae35c)という私の記事のコメント欄でやりとりした。
それで思い出したことがある。
私はリアルでは、自分が小説を書いているということを周囲にほとんど話していない、ということを以前書いたが、それでもやむを得ない場合(たとえば職場の上司や友人)、あるいはこのひとには、読んでほしいと判断したときには、話すし、本を渡す。
それでわかったことは、渡した本の感想が返ってきたことは、少数の例外を除いて、ないということである。
本を読んできちんと感想を伝える作業というのは、意外とエネルギーがいるのだ、と思うのと同時に、職場の上司はともかく、友人は、特に小説に興味があるわけではないので、やっぱり読んでいないのだろうな、と思う。がっかりする。
なぜそんな友人に、本を渡すかというと、発覚したときに、水臭い、といわれないためである。他意はない。
それに、友人の世間話のちょっとした埋め草的なネタには、なると思うからだ。
私は、名前のない書き手なので、面識のない人から著書をもらうことはないが(自分で買う)、小説家志望の職場のアルバイトに、原稿を渡されることがある。
周囲には、ほとんど話していないつもりなのだが、それでも噂は伝わる。「****さんに聞いたのですが、小説を書いているんですね? 僕も書いているのです」というひとが、たまにやってくる。
小説が好きなひとは、歓迎である。
真剣に話を聞くし、そのひとがパソコンで書いた小説も読む。後日、感想も必ず、伝える。
これには、批判があるかもしれないが、私は、面白いと思ったところをピックアップして、伝えるようにしている。全体的に面白くなくても、褒める方向でコメントをまとめて伝える。
本人のためには、否定的な部分の感想も伝えたほうがいいのかもしれないが(あくまで私の感想なのだから)、そうしたとき、そのひとが、今後、小説を書かなくなったらいやだな、と思うからだ。
小説の選評で、次作を期待する、と切って捨てるいい方があるが、次作があるかどうかわからないひとに、次作を期待する、というのは、どうなのか。いつも思う。
いまある作品の、いいところを伝えたい。
それでそのひとが、感謝して私の小説を読んでくれるかというと(実は、それもけっこう期待している)、そうでもない。
というのは、小説を書く人は、結局、自分が書く小説にしか興味がなく、あるいは好きな作家にしか興味がない。
私は、そのなかに入っていないのである((^▽^;))
ネットでは、多くの人が、私の本の感想を書いたり、書き込みをしてくれたりしている。感謝しています。
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