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85年と91年のころの「私という存在」を思い出させる

 KOKAMI@network公演「朝日のような夕日をつれて2024」を観た(@紀伊国屋ホール)
 本当に、久しぶりに紀伊国屋ホールに入った。前回がいつだったか、思い出せないくらいだ。自転車キンクリートだったか?
 演劇はそれなりに観続けていたので、私が観る劇団が、紀伊国屋ホールを使わなくなっていったということだろう。
 この芝居については、過去、第三舞台で二度観ている。1回目は紀伊国屋ホール、初進出の舞台(1985年)。2回目は1991年の紀伊国屋ホール。
 1回目のときの上演時間は90分で、2回目に観たときは120分。30分上演時間が増えていたのは、コントの増加である。
 作家の真摯な思いをギャグにくるんで、観客に差し出す。
 2回目に観たときは、1回目のかちっとして無駄のない90分の舞台の印象が残っていたからか、いくら何でもコントの部分がせり出し過ぎじゃないかと思ったが、今回の3回目を観たときは、気にならなかった。
 舞台セットがない。役者しか出ない舞台を久々に観た気がする。
 ベケット「ゴドーを待ちながら」をベースにしているが、ここ数十年間、ゴドーのことなんてすっかり忘れていた。 

 「朝日のような夕日をつれて」の戯曲には、

 おもちゃ会社「立花トーイ」
 ゴドーを待ちながら
 私という存在

 の、三つの世界を移動する

 と書かれているが、それを押さえていればさほど難解ではない。

 客層は、ちらほら若者がいたが、中心は中年以上。やはり第三舞台のファンが多いと思った。
 入口に鴻上尚史さんが立っていた。

 85年と91年のころの「私という存在」を思い出させる。

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緒 真坂 itoguchi masaka
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